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われわれは、「自分にはない他人の気持ち」を理解することは容易ではないもんで、 私は若いころからずっと女について、「すり減るものでもないのに、どうしてやらせないのだろう?気持ちのよいことなんだから、どんどんすればよいのに・・」という発想をしたものだ。 女は、好きでもない男とはやれないんですね。拷問になっちゃうそうです。 この点、女は男とは感じ方が全然違っている。私ならずとも、男はおおむね、若いうちは私と同じような考え方をするものでしょう。 われわれは「自分にはない他人の気持ち」が、なかなか解らない。 で今朝は、小さなことなんだけど、A君について、彼が、「私にはない感じ方」をするところがあるのに気づいたので、ちょっと書きとめておきたいのです。 A君は戦後の日本の社会(=経済の時代だったと言ってよいでしょう)で営業畑ひとすじの道を歩み、ひとかどの成功をして、今は横浜ランドマーク内に従業員3人の販売会社を営み、43階の高い所からベイブリッジを見降ろして一人悦に入っている。自分は人生に勝利した! 彼は、若いころからずっと、技術屋をバカにすとところがあった。 偉大な真理の発見に対して与えられるノーベル賞に何ら憧憬をもたない。 自分が最高、自分の人生が最高だと思っているふうで、私なんかに向って偉そうに講釈する。大学の教授にまでなったSさんまでもバカにする。 で私、何と70も過ぎた今になって気づいたのですが、 結局、彼には真理の美しさに対する感性が欠けていると思います。 彼我、これが違うのがポイントでしょう。 小商人の人生を歩んで自分が最高だと思ったりする人は、真理に触れても、その清々しい美しさを感じる心を持たないようです。 真理が閃いたときに感じる一種の感動、これを彼は知らないんだ。 一方、この世にはこれを強く感じる人がいて、そういう人たちが学者とかの、どこまでも真理探究する人生を選ぶ構造かと思われます。 私は若いころからずっと、囲碁に関しては、詰め碁の勉強だけはよくやってきた。市販されている詰め碁の本は殆どみなやってしまった程。実際に相手と打つのは、考慮時間に制約があるなど、私にはその方面の適性がない、いろいろと不快があって、今はもう碁は全く止めてしまっている。 近頃は、ところを変えて将棋を始めている。これもやっぱり碁の場合と同じ、詰め将棋の勉強を沢山している。 なんで私がこんなに詰め碁、詰め将棋の勉強だけは続けるのか? 真理の美しさ、真理たる手筋が閃いたときに心の奥底で感じる一種の感動、これを感じる心を私が持っているからでしょう。 この感動、快感を私は追い求めている。 で、A君はこれを持たないことに気づいたのです。 彼れと我れ、ここのところ(真理に対する感性)に人間の根本的違いがあるのに気づいた。 若いころからずっと彼とは親友だった。が、ここに根本的違いがあることは知らなかった。74にもなって、ようやく気づいた。 まことに人間、「自分にはない他人の気持ち」を捉えることは容易でない。 で、ここのところ私は「抗拒不能」、ドクレテしまって将棋ばかりやっている。 なんだか、こんなことばかりやっていてもイマイチ満たされないのに気づいた。 あんまり毎日、将棋の手筋の奥深く絶妙な美しさに触れているでけでは、私、イマイチ不満を覚えだした。 何かが欠けている。 最近自分で書いたこの哲学日記を開けてみる。写真がキレイなところ、文も面白く書けているところ。ん・・ちょっとスカッとする。 人間やっぱり、ときには芸術に触れないと満たされませんね。面白い文にも触れないと。 真理の筋道だけではイマイチ満たされない。 そう思った折、上の写真上段、昨日テレビにNHKの内藤裕子アナウンサーが紺色の服を着て現れたのにハッと、きれい、と思ったものだから早速カメラに収めたというわけです。 ん・・人間は、真理真理真理・・でもイマイチ満たされないみたい。 やっぱり人間には芸術、面白さが必要みたいです。 とくに、 女が要るみたいです。 あんまり風景写真ばかりでも飽きる。 この世は、人間の心は、 女もまじって全きを得る。 ・・・・・・・・・・ なに?どうしてそんな、うつむき加減の写真をのせたのか、だって? 彼女の顔はこうやって、タテに少し短くすると一番きれいなように思うからさ。 それにしても彼女、色白ですね、牛乳風呂に入っているみたい。 「牛乳風呂に入れば似合う女」 |
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