№19 神は人間一人ひとりを入念に無価値設計する(2004・04・06記) ほか
神は人間一人ひとりを入念に無価値設計する
at 2004 04/06 17:28 編集
今日二回目の日記です。メインは朝書いたやつだから、そっちの方をみてね。午後になって私の過去の日記を読んでいたら、なんとなく、いい感じの言葉が載っていたので、ちょっとここに記しておきましょう。
1987年昭和62年7月29日、
「神はわれわれ人間一人ひとりを、入念に、無価値設計する。
容姿の欠点、能力の優れている点、劣っている点。
さまざまな出会い、出来事によって築かれる人生経路などなど・・・
こういったものを、神はわれわれ一人ひとりにつき、入念に、設計する。
そうすることによって、我々一人ひとりの一生を、無価値化(快苦プラスマイナスゼロ化)する。」
(神は我々の主体性を犯さない方法で、それをやる。)
我々は、神によって守られているのだ。自分ばっかり良いことにはならないが。
我々は、自分の細かい欠点も、また大きな、どうしてもイヤな、大きな欠点も、たまたまそんな欠点があるのではなく、神によって、入念に設計されて、そうなのである。
欠点にはその見返りとして、良いものがが貰える。
自分が美人(男まえ)ではないからといって嘆くことはない。他の点で何か良いものを与えられているのだから。
美人(男まえ)は、他の人との公平上、何らかの欠点を埋め込まれている。
私の女房は、「わたし、何にもいいところがなくて・・・」 と思っていた。確かに鼻は低くて、かろうじて老眼が引っかかっている有様。が、なに私の美意識からすれば、鼻なんか小さいのが、ちょこんと付いてるのが愛嬌があっていい。のみならず彼女は、腰の辺りから脚にかけてバイオリン型で、日本人には珍しく脚も真っ直ぐ、格好がよかった。トシをとっても太らなかった。
彼女は、自分が頭が悪くてどうしようもないと思っていた。
どうしてどうして、今になってみれば、彼女は他の女に比べてアタマは悪くなかった・・・のみならず、自分は全然とりえがないと思っていたこと自体がなかなか得がたいこと。大抵の人間は自分の欠点に気づかず、或いは、大してよくもないのに鼻高々で醜い。
というわけで、自分の長所も短所も、神の入念な設計によるということですね。
(後記、2012・04・28に読んでの感想・・
私のこの天文学的苦しみ、苦しみだらけ「=全然合わない環境に生を受けて、76歳になる今も適応できず喘いでいる。容姿もはなはだ醜く創られており、体も弱い。神経質で戦後の大衆社会に適応できない、孤独だ、友だちが一人もいない。囲碁や将棋なんかも適性を奪われているetc・・」と、
その反面、唯一つの長所、人の心、個性に鋭く、神を感じることが出来て、この世界観が生まれてきたという関係が、
とりもなおさず、
この世界観の真実性、単なる幻想でないこと、とても素晴しいこと、を証明しているだろう。
苦しみだらけ、地獄道の見返りに、人類未曾有、この世の奥義を喝破させてもらったという関係。
この哲学が幻想なんかであるわけがない。
こんなのは客観的証明にならないでしょうが、
私自身がこの世界観に確信を抱き、
いまだにこの哲学が予測する私の適応期が来ない長期の苦しみに耐えられる力になっている。)
皆さんの信仰を傷つけたくない
at 2004 04/07 10:53 編集
ノートの読み返しが、1987年9月、図書館へ行って、いろんな宗教を勉強したところにさしかかっている。
私の考え、感想は、ちょっと、おおやけの目に付く所には書けない。皆さんの信仰心を傷つけてはならない。私の哲学は、神に関することなので、まかり間違えば皆さんの信仰を傷つけるおそれがある。ま、同じ神という言葉を使っていても、別の神のことを言っているぐらいに考えて下さい。
昨日午前中に書いた日記、「サダムは・・・」で、ちょっと、彼の信仰と私の思想との違いに言及しましたが、実はあれ、私ちょっと、気にかかっているんだ。あの記述が、皆さんの厚い信仰を傷つけたとしたら、私は平に誤る。私の神と皆さんの神とは、別の神のことを言っているんだと考えて下さい。
およそ、一個の思想なり信仰なりが、人類史の上に初めて登場するときは、激しい反発にあうのが常のようです。イエスが登場したときの例、ガリレオが宗教裁判にかけられた例、日蓮だって佐渡へ流されたとかその他の、激しい迫害に会った。こないだMさんの奥さんが「公明党をよろしく」と言って来たときに聞いた話だが、創価学会も初代の牧口といったかな、その人は戦時中の人で、憲兵に捕らえられ、不敬罪でね、獄死したという。
私の世界観も、将来は人類の先端部分を照らす道しるべとなる大思想に発展するのは間違いないことから、広く受け入れられるまでには、それこそ、どんなにかひどい反作用、抵抗に会わなければならないことだろうと、早くも、今のうちから心配している。
ま、そんな遠い先のことを、今から心配しなくったって、だいたい私の哲学が世に受け入れられ始めるのが、私が死んだあとになるかもよ。
現在の苦境に耐えガンバラセルための哲学
at 2004 04/08 10:11 編集
私の神は、全然、人を老病死の苦悩から救う宗教の神ではなく、現在の大いなる苦しみに耐えて、頑張り努力をし、自らを改良したり、大きな仕事をしたりするための哲学上の神です。したがって、私がこの哲学を語りかける相手も、現在甚だしい苦しみにあって、戦っている人です。
1988年6月3日の記録
「もしも今、私にこの哲学がなかったら・・・男53歳、初老期入りして未だ定職なく、未だかつて一度も社会に適応できたことがない。
曰く、落伍者。
絶望、酒に耽溺・・死。
それがなんと、こうやって毎日朝早く起きて頑張っているではないか。酒も自制して少ししか飲まない。自分が落伍者などとは思っていない。将来に希望をもっている。」
私の哲学は、神が我々一人ひとりを厳密に支配していると説きます。そうして、神は我々を無駄に苦しめたりしない。人生は快苦プラスマイナスゼロ。道理上やむをえないのです。私の例を言いますと、今の自分にできること=この哲学の形成しかない、を一生懸命やっていさえすれば、いつかは、この哲学でもって適応できる時代環境を、神が創りだしてくれる、と私の哲学は説くのです。
曰く、 「苦しみの法則」
「人は柔軟性のあるうちに、苦しみ努力すると、神の助力あって、将来の適応能力(ポテンシャル)が向上する。」
神は、こうして身についた能力を無駄に終わらせたりしない。
ポルノビデオは数回見ただけで、もう見ない
at 2004 04/09 07:52 編集
私の彼女の元亭主から、無断借用しているポルノテープです。こういうものは、同じものを見ていると、すぐ興味が失せるものらしい。こないだ借りてきたばっかりなのに、もう何日も前から見ないで、こんど彼女に会った時に返そうと思っている。
それに対し、私の哲学は、もう19年もの間、毎日やっているのに、全然飽きない。ますます面白くなってきている。深い。内容が豊かだ。
1988・6・13 の日記
「私の哲学の奥深さが、人々を惹きつける一要因になるかもしれない。
奥深さ・・・魂の深いところを満足させてくれる、一つの芸術性。究極の芸術性。
人が地上の、たいがいのことに飽きてしまっても、これだけは残っている。
私はこの哲学によって、人々を奥深い世界へ誘って酔わせることにしよう。」
今朝は、ちょっと小さなテーマになってしまいましたが、午後に、もう一つ、書くかもしれない。
昨日は地獄の苦しみ
at 2004 04/10 08:29 編集
あれっ、ない。昨日夜、死死死死・・・死にたい、というようなことを、ここに書き込んだつもりだが、ない。消えている。私のみっともない姿をさらけさせまいと、神が神隠し? ま実際は、昨日は二軒もハシゴをして、焼酎をいっぱい飲んで酔っ払っていたから、送信ボタンを押すのを忘れたのだろう。が、この、ボタンを押すのを忘れたこと自体が、私の哲学では、神がそうさせた、ということになる。でもこんなもの、押し忘れても忘れなくても、さほどの違い、意味はないだろう。
地獄の業火に焼かれた夜も明けて、今朝はまばゆいばかりの青空が広がっている。幸い、二日酔いもたいしたことない。そのうち私の心も、外の陽光のように、いつかはね、輝いてくるだろう。
もう外で飲むのはやめた。金輪際やめた。何のことはない、これさえ守れれば、死ぬの、生きるの、ということは問題にならない筈だ。たわいない。だいたい私はいつも大げさに騒ぎすぎる。
私はこの哲学に希望をもっているから死ねない。死ねもしないのに、すぐ、死にたい死にたいという。悪いクセだ。
彼女がカワイすぎるからいけないんだ。彼女は知恵遅れ境界線上で、理屈を言わないし、偉そうにしないし、意見を言わないし、言葉をしゃべるのもゆっくりだし・・・そうだ、彼女と飲むと楽しい、一緒に飲むと、ますます彼女が可愛く見えてくる。彼女が私に大きな苦痛を与える一面をもっていることも忘れて・・・これが元凶だな。
だけどもう外で飲むのはやめよう・・・やめられるかな?たまにカラオケボックスへ行って飲むにとどめよう。地獄の苦しみはもうこれっきりね。
だいたい、過去のノートが、くだらないことばっかり書いてあるのも、いけない。むしゃくしゃするから、酒を飲みたくなる。過去のノートが私の無二の親友だなんて、よく言えたものだ。あんなのは、全然私の親友ではない。でも今日もあれから、ここに書く題材をみつけなければならない。みつかるかな、しんどい仕事。
at 2004 04/06 17:28 編集
今日二回目の日記です。メインは朝書いたやつだから、そっちの方をみてね。午後になって私の過去の日記を読んでいたら、なんとなく、いい感じの言葉が載っていたので、ちょっとここに記しておきましょう。
1987年昭和62年7月29日、
「神はわれわれ人間一人ひとりを、入念に、無価値設計する。
容姿の欠点、能力の優れている点、劣っている点。
さまざまな出会い、出来事によって築かれる人生経路などなど・・・
こういったものを、神はわれわれ一人ひとりにつき、入念に、設計する。
そうすることによって、我々一人ひとりの一生を、無価値化(快苦プラスマイナスゼロ化)する。」
(神は我々の主体性を犯さない方法で、それをやる。)
我々は、神によって守られているのだ。自分ばっかり良いことにはならないが。
我々は、自分の細かい欠点も、また大きな、どうしてもイヤな、大きな欠点も、たまたまそんな欠点があるのではなく、神によって、入念に設計されて、そうなのである。
欠点にはその見返りとして、良いものがが貰える。
自分が美人(男まえ)ではないからといって嘆くことはない。他の点で何か良いものを与えられているのだから。
美人(男まえ)は、他の人との公平上、何らかの欠点を埋め込まれている。
私の女房は、「わたし、何にもいいところがなくて・・・」 と思っていた。確かに鼻は低くて、かろうじて老眼が引っかかっている有様。が、なに私の美意識からすれば、鼻なんか小さいのが、ちょこんと付いてるのが愛嬌があっていい。のみならず彼女は、腰の辺りから脚にかけてバイオリン型で、日本人には珍しく脚も真っ直ぐ、格好がよかった。トシをとっても太らなかった。
彼女は、自分が頭が悪くてどうしようもないと思っていた。
どうしてどうして、今になってみれば、彼女は他の女に比べてアタマは悪くなかった・・・のみならず、自分は全然とりえがないと思っていたこと自体がなかなか得がたいこと。大抵の人間は自分の欠点に気づかず、或いは、大してよくもないのに鼻高々で醜い。
というわけで、自分の長所も短所も、神の入念な設計によるということですね。
(後記、2012・04・28に読んでの感想・・
私のこの天文学的苦しみ、苦しみだらけ「=全然合わない環境に生を受けて、76歳になる今も適応できず喘いでいる。容姿もはなはだ醜く創られており、体も弱い。神経質で戦後の大衆社会に適応できない、孤独だ、友だちが一人もいない。囲碁や将棋なんかも適性を奪われているetc・・」と、
その反面、唯一つの長所、人の心、個性に鋭く、神を感じることが出来て、この世界観が生まれてきたという関係が、
とりもなおさず、
この世界観の真実性、単なる幻想でないこと、とても素晴しいこと、を証明しているだろう。
苦しみだらけ、地獄道の見返りに、人類未曾有、この世の奥義を喝破させてもらったという関係。
この哲学が幻想なんかであるわけがない。
こんなのは客観的証明にならないでしょうが、
私自身がこの世界観に確信を抱き、
いまだにこの哲学が予測する私の適応期が来ない長期の苦しみに耐えられる力になっている。)
皆さんの信仰を傷つけたくない
at 2004 04/07 10:53 編集
ノートの読み返しが、1987年9月、図書館へ行って、いろんな宗教を勉強したところにさしかかっている。
私の考え、感想は、ちょっと、おおやけの目に付く所には書けない。皆さんの信仰心を傷つけてはならない。私の哲学は、神に関することなので、まかり間違えば皆さんの信仰を傷つけるおそれがある。ま、同じ神という言葉を使っていても、別の神のことを言っているぐらいに考えて下さい。
昨日午前中に書いた日記、「サダムは・・・」で、ちょっと、彼の信仰と私の思想との違いに言及しましたが、実はあれ、私ちょっと、気にかかっているんだ。あの記述が、皆さんの厚い信仰を傷つけたとしたら、私は平に誤る。私の神と皆さんの神とは、別の神のことを言っているんだと考えて下さい。
およそ、一個の思想なり信仰なりが、人類史の上に初めて登場するときは、激しい反発にあうのが常のようです。イエスが登場したときの例、ガリレオが宗教裁判にかけられた例、日蓮だって佐渡へ流されたとかその他の、激しい迫害に会った。こないだMさんの奥さんが「公明党をよろしく」と言って来たときに聞いた話だが、創価学会も初代の牧口といったかな、その人は戦時中の人で、憲兵に捕らえられ、不敬罪でね、獄死したという。
私の世界観も、将来は人類の先端部分を照らす道しるべとなる大思想に発展するのは間違いないことから、広く受け入れられるまでには、それこそ、どんなにかひどい反作用、抵抗に会わなければならないことだろうと、早くも、今のうちから心配している。
ま、そんな遠い先のことを、今から心配しなくったって、だいたい私の哲学が世に受け入れられ始めるのが、私が死んだあとになるかもよ。
現在の苦境に耐えガンバラセルための哲学
at 2004 04/08 10:11 編集
私の神は、全然、人を老病死の苦悩から救う宗教の神ではなく、現在の大いなる苦しみに耐えて、頑張り努力をし、自らを改良したり、大きな仕事をしたりするための哲学上の神です。したがって、私がこの哲学を語りかける相手も、現在甚だしい苦しみにあって、戦っている人です。
1988年6月3日の記録
「もしも今、私にこの哲学がなかったら・・・男53歳、初老期入りして未だ定職なく、未だかつて一度も社会に適応できたことがない。
曰く、落伍者。
絶望、酒に耽溺・・死。
それがなんと、こうやって毎日朝早く起きて頑張っているではないか。酒も自制して少ししか飲まない。自分が落伍者などとは思っていない。将来に希望をもっている。」
私の哲学は、神が我々一人ひとりを厳密に支配していると説きます。そうして、神は我々を無駄に苦しめたりしない。人生は快苦プラスマイナスゼロ。道理上やむをえないのです。私の例を言いますと、今の自分にできること=この哲学の形成しかない、を一生懸命やっていさえすれば、いつかは、この哲学でもって適応できる時代環境を、神が創りだしてくれる、と私の哲学は説くのです。
曰く、 「苦しみの法則」
「人は柔軟性のあるうちに、苦しみ努力すると、神の助力あって、将来の適応能力(ポテンシャル)が向上する。」
神は、こうして身についた能力を無駄に終わらせたりしない。
ポルノビデオは数回見ただけで、もう見ない
at 2004 04/09 07:52 編集
私の彼女の元亭主から、無断借用しているポルノテープです。こういうものは、同じものを見ていると、すぐ興味が失せるものらしい。こないだ借りてきたばっかりなのに、もう何日も前から見ないで、こんど彼女に会った時に返そうと思っている。
それに対し、私の哲学は、もう19年もの間、毎日やっているのに、全然飽きない。ますます面白くなってきている。深い。内容が豊かだ。
1988・6・13 の日記
「私の哲学の奥深さが、人々を惹きつける一要因になるかもしれない。
奥深さ・・・魂の深いところを満足させてくれる、一つの芸術性。究極の芸術性。
人が地上の、たいがいのことに飽きてしまっても、これだけは残っている。
私はこの哲学によって、人々を奥深い世界へ誘って酔わせることにしよう。」
今朝は、ちょっと小さなテーマになってしまいましたが、午後に、もう一つ、書くかもしれない。
昨日は地獄の苦しみ
at 2004 04/10 08:29 編集
あれっ、ない。昨日夜、死死死死・・・死にたい、というようなことを、ここに書き込んだつもりだが、ない。消えている。私のみっともない姿をさらけさせまいと、神が神隠し? ま実際は、昨日は二軒もハシゴをして、焼酎をいっぱい飲んで酔っ払っていたから、送信ボタンを押すのを忘れたのだろう。が、この、ボタンを押すのを忘れたこと自体が、私の哲学では、神がそうさせた、ということになる。でもこんなもの、押し忘れても忘れなくても、さほどの違い、意味はないだろう。
地獄の業火に焼かれた夜も明けて、今朝はまばゆいばかりの青空が広がっている。幸い、二日酔いもたいしたことない。そのうち私の心も、外の陽光のように、いつかはね、輝いてくるだろう。
もう外で飲むのはやめた。金輪際やめた。何のことはない、これさえ守れれば、死ぬの、生きるの、ということは問題にならない筈だ。たわいない。だいたい私はいつも大げさに騒ぎすぎる。
私はこの哲学に希望をもっているから死ねない。死ねもしないのに、すぐ、死にたい死にたいという。悪いクセだ。
彼女がカワイすぎるからいけないんだ。彼女は知恵遅れ境界線上で、理屈を言わないし、偉そうにしないし、意見を言わないし、言葉をしゃべるのもゆっくりだし・・・そうだ、彼女と飲むと楽しい、一緒に飲むと、ますます彼女が可愛く見えてくる。彼女が私に大きな苦痛を与える一面をもっていることも忘れて・・・これが元凶だな。
だけどもう外で飲むのはやめよう・・・やめられるかな?たまにカラオケボックスへ行って飲むにとどめよう。地獄の苦しみはもうこれっきりね。
だいたい、過去のノートが、くだらないことばっかり書いてあるのも、いけない。むしゃくしゃするから、酒を飲みたくなる。過去のノートが私の無二の親友だなんて、よく言えたものだ。あんなのは、全然私の親友ではない。でも今日もあれから、ここに書く題材をみつけなければならない。みつかるかな、しんどい仕事。
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