№219 尼崎遺族・・怒りをそうストレートにぶつけないで・・(2005・05・01記)ほか

2005年05月01日
 尼崎遺族・・怒りをストレートにぶつけないで土俵ぎわ俵半分でこらえる

 目に涙を浮かべていた女性の遺体があったという。即死ではなかったのですね。電車に挟まれて動けず、痛い、痛い。他の人のうめき、叫びも聞こえる・・・
 どんなに恐ろしく、つらく、悲しかったことでしょう。
 (そう、昨日で死者107人)

 死ぬも地獄、遺された者も地獄。
 
 遺族が、JR職員を激しく責めている映像。怒り爆発。
 もう耐え難い怒りなんでしょうね。

 確かに、私なんかのように全然被害者でない者でも、JRの上から下まで、腐敗した、というのは言いすぎなんですか、ユルフンなのに腹が立つぐらいんだから、遺族の怒りは如何ばかりか、とは思いますが、

 ここからが私の哲学、
 怒りをそうストレートにぶつけないのが奥ゆかしい。土俵際たわら半分でグッとこらえる。

 1. 人生というものは、また、この世というものは、
 根本的本質的に、こんな地獄の苦しみを内包したもの、

 人生は本来、幸せなもの、本来、平穏無事なもの、という一般の人の考えは甘い。
 人生は、誰の人生も、トテモトテモ厳しい。

 2. 自分は、牛やブタを殺したい放題殺して食べていながら、自分達人間の幸せばっかりを考えるんじゃない。
 食物連鎖の頂点にある人間は、何者によっても殺されないのではなくて、神に殺される。そうでないと、この世に合理性を創りだせない。人間も動物も、等しく、神によって創られた命である。その間に公平がはかられなければならない。

 我々は、牛やブタと同じ立場だ。のみならず、人間は他の動物に比べて、圧倒的に「快」が大きい、多い、だから、「苦」も圧倒的に大きく、多く、ならないと、動物との間に、公平を保てない。
 我々の人間の苦しみがトテモ大きいのは、道理上やむを得ないのです。

 3. 今回の事故もアウシュビッツと同じ。神によって引き起こされたドラマです。

 人間はロボットではない、主体的存在ですが、
 神が、この世に存在するもの全てのものの配置関係を支配することによって、この世を支配している。
 神は、我々の主体的機能には触っていないが、我々の遺伝子と周りに存在するものが神によって、制約されているのだもの、我々のすることは特定される。

 我々のすることは、我々が主体的にしたことなんだから我々にも責任があるし、「神がそう仕組んだ」ことだから、神にも責任がある。
 JR職員を責めていけなくはないが、

 4. だけど今回の被害者は、神によって、他の人との公平は保たれていますよ。
 死んだ人も遺族も、苦しみに見合う快を与えられている。
 若くして殺されたから無念と言っても、神が、その人はその時点で・・・いや、これはもう、これ以上言うのはよそう。
 兎に角、一般の人の、普通の人の、ですね、この世に生かされる意味は、とても小さいのです。このことは、まえに津波を論じたときに言った。
 
 5. 人間誰しも過失を犯す。ひとの過失を、そう責めるんじゃない。責めている本人だって、自分の過失によって、ひとに迷惑をかけることがあると思いますよ。


 そうこれは、まえに私がマルチカラーと言ったやつだ。ひとから苦しみを受けたときなどは、ストレートに相手に怒りをぶつけたりしないで、
 上記のように、いろいろなことを考慮して、抑制された、マルチカラーな態度をとるのが正解だと思う。



2005年05月02日
 ここ潮来へ引っ越してきてからの9年間

 昨日は早朝に、このCafeに書き込んだものの憂鬱でね。日がな一日、縁側の椅子に座って、ただもうボケッと、いや、あれこれ、越し方を振り返ったり行く末を考えたりした。
 
 そう、私がここ潮来へ引っ越してきてからの9年間、なにが起きたのかを振り返ってみた。

 世の中は目立っては変わっていないようにも思うが、いや、携帯の普及とかデジタルカメラとか、ブログの普及とかが起きたかな。景気のレベルは同じですね。ダウが11000円、9年前もそんなもんじゃなかったかな。
 でもまあ、他にも技術革新はいっぱい生まれたんだろうね。

 いや、過去9年の間に人々の行儀がいっそう悪くなり、品のない事件とか災害が多発するようになったということがあるかな。

 そして、何といっても、大きな変化が、この私に起きた。
 ここへ引っ越してきてすぐは、家庭菜園とか、釣り、釣り仲間との付き合い、モーターボート、囲碁、カラオケとかを次々と夢中になってやっていった。
 今は何と、それらのものはみんな荒れ河原。

 今はホントにもう、私の人生最終段階、この哲学一本に収束してしまった。
 1年半ほど前に不思議な機縁あってパソコンをやるようになり、
 思いがけずNetでこのCafeを見つけた。何となく書き始めのが今や大河の流れになっている。

 私の本願=この哲学で天下を取る、の方へ向かってシュッシュポッポ、いま私の左手に、印刷したこの哲学が10センチ、20センチもの高さに積みあがっている。

 図らずもこんなことになって、私の人生は終盤の入り口ぐらいにさしかかったところかも。

 他のことが全然面白くなくてね。ストレス発散手段がない。どう考えてもない。この哲学のほかに、やる気がするものがない。そりゃまあ、たまに慈善事業的にガマを抱くのは悪くはないが、たいした意味はない。
 
 こうストレス発散手段が乏しくては、体を悪くしてしまう。この先どうやって、この苦境を打開していくか?
 

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