「そうして実際に私はどのように死んだか」、が私の哲学日記の一つの興味ある流れ
私は死の恐怖を乗り越えようと、一生懸命考え、これまでにたくさん書いてきた。
人生の最後には、自ら人生を終わらせる過程を克明に描き、練炭のイヤな匂いとか、苦痛の程度、意識が薄らいでいく様子までも、書けるかぎり書いて後世に残してあげましょう。
最後はヨタヨタのミミズ文字になって終わっているでしょうか。
僧侶とか哲学の道にすすむようになっている人は、死を格別怖がるように神がつくってある。
死が怖いからそれを乗りこえようと、その方面の道に進むのでしょう。
振り返ってみると、この死の問題、死の恐怖を乗りこえる問題、は、この哲学日記の中で、一つの流れとして、ずっと続いている。
ようやく今ここにきて、死ねそうな感じになってきた段階だ。
超極限的に強烈な腰痛を経験して、人間に設計付与されている限りの、どんな痛み苦痛にも耐えて死ねそうに思えてきた。
昨日今日は「本当にそうなのか?本当に死ねるのか?」、その地固めの段階かと思う。
この先もずっとこのテーマを書き続けて、最後の最後、私が実際に死んでゆく過程を描いて私の哲学日記は終わっていることになりましょう。
興味しんしんじゃありませんか。
将来は学者先生方が、私の哲学を根掘り葉掘り研究してくれる時代がくると思います。
私の哲学日記の中からその世界観人間観をピックアップして、体系的に説明してくれるでしょう。
その時はこの死の問題、私が死の恐怖を乗り越えようと一生懸命考え、そうして実際にどのように死んでいったか、これも一つのテーマとしてピックアップしてくれるでしょう。
私の哲学の体系化といえば、
最近書きました「若いもん考」も、まえにだいぶ書きました「老人論」との対比で体系化されるでしょう。
この哲学日記の書き始めの年だから2004年、もう3年前になりますか、A君なんかを題材にして、老人の長所と短所を語りましたね。
このたびの、赤福の若社長を題材にしての「若いもん考」も、実はこれまでに折ふし書いてきてあるのです。
中学生ぐらいの女の子がお母さんに向って、「わたし40才ぐらいで死にたい」という。「どうして?」と母親が尋ねると、「しわくちゃになってまでも生きたくないもん」と言った。
これをテーマに書きましたね。
まあ私の横着、私は理論的体系的にしゃべるのが苦手なもんだから、この仕事はのちの世の学者先生方にお願いしようというわけ。
・・・・・・・・・・・
あとダジャレのたぐいは?
昨日、ぐずついた天気の中、ガマを面接に運んでやった。ガマの住んでいる神栖は、鹿嶋臨海工業地帯に属し、大型トラックが行き交う活気のある町です。単純な工場労働の仕事ならわりとあるんじゃないかな。
行ってみると大きな倉庫の掃除の仕事、雇ってくれそう、明後日の月曜から。
ガマに勤まるかなあ、心配なのは休みは日曜日だけで、朝の8時から午後4時半までびっしり働かなければならない。
で行き帰りの車の中でおしゃべりをしたのですが、ガマが近頃知り合った友だちに、ローター(うずらの卵みたいなのが振動する大人のオモチャ)を貸してやったところ、気持ちよくて返してくれないという。
「自分のを買うまでちょっと待って」
ガマが、「ふふふふ」と言っていました。つまり、友だちがあれを股間に入れて、「あっ、あっ、いい、いい」と、一人でやっている姿を想像しているのでしょう。
人生の最後には、自ら人生を終わらせる過程を克明に描き、練炭のイヤな匂いとか、苦痛の程度、意識が薄らいでいく様子までも、書けるかぎり書いて後世に残してあげましょう。
最後はヨタヨタのミミズ文字になって終わっているでしょうか。
僧侶とか哲学の道にすすむようになっている人は、死を格別怖がるように神がつくってある。
死が怖いからそれを乗りこえようと、その方面の道に進むのでしょう。
振り返ってみると、この死の問題、死の恐怖を乗りこえる問題、は、この哲学日記の中で、一つの流れとして、ずっと続いている。
ようやく今ここにきて、死ねそうな感じになってきた段階だ。
超極限的に強烈な腰痛を経験して、人間に設計付与されている限りの、どんな痛み苦痛にも耐えて死ねそうに思えてきた。
昨日今日は「本当にそうなのか?本当に死ねるのか?」、その地固めの段階かと思う。
この先もずっとこのテーマを書き続けて、最後の最後、私が実際に死んでゆく過程を描いて私の哲学日記は終わっていることになりましょう。
興味しんしんじゃありませんか。
将来は学者先生方が、私の哲学を根掘り葉掘り研究してくれる時代がくると思います。
私の哲学日記の中からその世界観人間観をピックアップして、体系的に説明してくれるでしょう。
その時はこの死の問題、私が死の恐怖を乗り越えようと一生懸命考え、そうして実際にどのように死んでいったか、これも一つのテーマとしてピックアップしてくれるでしょう。
私の哲学の体系化といえば、
最近書きました「若いもん考」も、まえにだいぶ書きました「老人論」との対比で体系化されるでしょう。
この哲学日記の書き始めの年だから2004年、もう3年前になりますか、A君なんかを題材にして、老人の長所と短所を語りましたね。
このたびの、赤福の若社長を題材にしての「若いもん考」も、実はこれまでに折ふし書いてきてあるのです。
中学生ぐらいの女の子がお母さんに向って、「わたし40才ぐらいで死にたい」という。「どうして?」と母親が尋ねると、「しわくちゃになってまでも生きたくないもん」と言った。
これをテーマに書きましたね。
まあ私の横着、私は理論的体系的にしゃべるのが苦手なもんだから、この仕事はのちの世の学者先生方にお願いしようというわけ。
・・・・・・・・・・・
あとダジャレのたぐいは?
昨日、ぐずついた天気の中、ガマを面接に運んでやった。ガマの住んでいる神栖は、鹿嶋臨海工業地帯に属し、大型トラックが行き交う活気のある町です。単純な工場労働の仕事ならわりとあるんじゃないかな。
行ってみると大きな倉庫の掃除の仕事、雇ってくれそう、明後日の月曜から。
ガマに勤まるかなあ、心配なのは休みは日曜日だけで、朝の8時から午後4時半までびっしり働かなければならない。
で行き帰りの車の中でおしゃべりをしたのですが、ガマが近頃知り合った友だちに、ローター(うずらの卵みたいなのが振動する大人のオモチャ)を貸してやったところ、気持ちよくて返してくれないという。
「自分のを買うまでちょっと待って」
ガマが、「ふふふふ」と言っていました。つまり、友だちがあれを股間に入れて、「あっ、あっ、いい、いい」と、一人でやっている姿を想像しているのでしょう。
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