白鳥に貞操を奪われた姫さま

 千葉県佐倉市に伝わる面白い話を紹介しよう。
 佐倉市は、ここ私の住む茨城南部の潮来からは高速道を南西方向にひとっ走りした所にある。今でも城下町の風情を漂わせる落ち着いた田舎町だ。その辺り一帯の房総半島北部は、むかし下総(しもうさ)と言った。南部が上総(かずさ)ですが南端の一部は日蓮上人ゆかりの安房の国。

 むかし、下総の佐倉城の城主に、綾姫という美しい娘がいた。
 綾姫は鳥がすごく好きだった。とくに白鳥が好きで、一羽のオスの白鳥を飼って、「五郎」と名づけて可愛がっていた。白鳥もすっかり綾姫になつき、綾姫の言葉などをほとんどみな理解していた。
 ある夏のことである。いつものように白鳥の五郎といっしょに印旛沼のほとりを散歩していた綾姫は、暑いので柳の木かげに体を横たえていた。沼を渡ってくるそよ風にさらされていると妙に眠気がさしてきて、綾姫はついウトウトとまどろんだ。
 ところが綾姫はやがて、思わず「あっ」と声をあげて目を覚ました。自分の着物の前がはだけ、下腹の上に五郎がちょこん、とのっかかっているではないか。綾姫は自分が白鳥の五郎に貞操を奪われてしまったことに気づいたのである。
 (注・・この時代は、腰巻の下には何にも身につけなかった)

 「あんた、ばかなまねをしちゃだめじゃない」

 さとすようにいうと、白鳥の五郎は一声二声、コケー、コケーと鳴いて沖へ沖へと沼のなかに泳いでいってしまった。
 それっきり、どこへどうしたのか、五郎はもう二度と綾姫のところへ戻ってこなかった。
 それから一か月ほどして、綾姫は妊娠していることに気がついた。みつき、よつきと経つと、お腹がだんだんふくらんでくるではないか。それを知った父母(佐倉城主とその奥方)は、相手はどこのだれなのだ、と尋ねた。綾姫は、白鳥に犯された、と説明したが、父母がそれを信ずるはずはなかった。
 十か月ほどたつと、綾姫は産気づいた。しかし、綾姫が生んだのは人間の赤ん坊ではなかった。まっ白な、美しい卵。それも四個である。どれもこれも、鶏の卵の三倍ほどの大きさであった。
 綾姫はそれをどう処分したらいいかひどく迷ったが、毎夜それを抱いて寝ることにした。すると二十日ほどたって、四個の卵はみな割れて、なかから「半人半鳥」が生まれた。顔は人間の子供だが、全身が羽毛でおおわれていて、翼があり、足は白鳥とそっくりなのである。
 これを知った綾姫の父親は、綾姫に、
 「そんな怪物は殺してしまいなさい」
 と命じたが、みんな我が子であってみれば、可愛そうで殺してしまうわけにはいかなかった。それをいうと、綾姫は父から勘当をいい渡された。
 四人(羽)の子供をつれて、綾姫は泣く泣く佐倉城を出ていった。四人の子供を引いて下総の森のなかを当てもなくさまよっていると、親切な樵夫(きこり)に助けられ、綾姫親子は、その樵夫の家に寝泊まりすることになった。四人(羽)の子供はスクスクと成長し、みんな空を飛んだり、水の中を泳いだりするようになった。男(オス)が二人(羽)に女(メス)が二人(羽)だったので、大きくなると、兄妹ながら結婚して、二組の夫婦ができた。夫婦たちはさらに子を生み、三十年もすると、この森のなかに、こうした鳥人の集落ができてしまった。
 このことが都に知れると、時の将軍は、部下のものに、
 「そのような怪物を生かしておいたら、どのようになるか分からぬ。一羽残らず退治してこい!」
 と厳命した。
 秋のある日、一団の鉄砲隊が下総の森に入りこんできた。隣り村に用事があって出かけていたお綾(綾姫)は、その鉄砲隊と出会ったが、それが自分たち一族を撃ち滅ぼしにきたのだと知ると、蒼ざめて、脱兎のように集落まで帰ってきた。一族のものに、
 「みんな逃げて!早く、早く、空高く飛び上がるんだ。でないと、でないと、都からきた鉄砲隊にみんな撃ち殺される!」
 声のかぎり叫んだ。
 危急を知った一族たち鳥人の群れは、みんな悲鳴をあげながら、羽音も高く舞い上がった。
 何羽(人)かはそのとき、空を飛んでいたが、みんなと合流して、逃げようとした。総数は三十であった。
 ところが、早くも鉄砲隊の先鋒が、この集落に踏み入れていて、この空の一団に対して銃身を向けた。ダダーン、ダダーン、不気味な銃声があたりにこだまする。
 まだ生まれたばかりで、やっと飛べるようになった幼い半人半鳥が、いちばん低いところを飛んでいたので、そのタマに当たり、白い翼を血に染めて落下した。
 しかし、他の二十八人(羽)は、必死に翼を動かして、高く高く舞い上がった。もう鉄砲隊がどんなに鉄砲を撃ってもタマはとどかなかった。

 それっきりで、この鳥人の一団はもう二度と、この下総の森に舞い下りてこなかった。みんなどこへともなく、飛び去ってしまったのである。アフリカの方まで逃げていってしまった、ともいわれている。

 下総の台地に三基の墓石が並んでいる。
 一基はお綾(綾姫)のもので、他の二基は、このとき撃たれた幼い半人半鳥のものである、といわれているが、それがどこにあるのか、筆者は知らない。

 佐倉城址は、佐倉市の高台にあり、ここは、昭和58年に国立歴史民族博物館がオープンして、一日数千人もの見学者が訪れている。京成電鉄佐倉駅の近くである。

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