過ぎゆく秋の思い出は虫の音とともに
今朝も目覚めは3時、書斎の窓を開けて虫の音を取り込む。チチチ・・・と鳴くあり、リリリ・・・と鳴くあり。私の秋の一日はこうして始まる。
はや9月7日、夏も過ぎたらしくて朝夕はすっかり涼しくなりました。
「女房の命日が9月2日だったな。生きていれば・・私のトシに11足すと84歳か」「秋の彼岸も近づいたが・・」などなど、考える。
いま私の試練の時代の最後の最後、これまでに書いてきたものの読み返しを続けているところです。次のような文が出てきた。
台所研究室とドブ川を往き来して哲学を導いた稀有な人生、
亭主が一文のゼニも稼いでこなくても「わたし幸せよ」の稀有な女房、
「善悪から、快苦へ」と叫ぶ稀有な哲学、
ワレは幸せ者よ。こんな人生を貰った人は他にいなかろ。
毎日、埼玉・越谷くんだりの田んぼの中の堀でコブナを釣った頃がなつかしい。
・・・・・・・
やるせない、なつかしさがこみあげてくる。
あれから、はや15年余り過ぎたでしょうか。
あの時よりも一層厳しい苦悩、孤独が続くこのごろです。
これだって過ぎ去ってしまえば、多分、とてもなつかしく思い出されるんでしょうね。
とくに近頃の暮らしは写真に撮ってある。
写真を見ながら・・・
その時は、私はもう、死の床に臥しているでしょうか、
死期を間近に控えた床にあって、万感胸に迫って涙を流すでしょうか。
われも老いたり。完全に老いた。
もう新たにすることは生まれて来そうにない。
これまで私の身がどうなるかについて予測をあやまったのは、私がまだ元気だったから、予想外に次々と新たにすることが生まれてきたからだ。
今やっている読み返しでさえ、脳が衰えて、ろくに進まない。
これ以上、文が増えたら、全然読み返すことができなくなる。
私は、もうたいがい、適応期入りだ。
見てらっしゃい。だんだんと私の哲学の時代、混乱の時代へと向っていくだろう。
そりゃまあ、そんなに急に、完全に私の時代が来るというのではないが、だんだんとね。
神は、
私がフィット・アップした能力(試練の時代に向上させた能力)で適応できる時代環境を招来せしめて、両者を合わせてくれる。
人の一生はみんな公平。
この世は、みんなが公平になるように、神が采配をふるっているんだから。
この記事へのコメント
奥さんは大分前にお亡くなり、ガマさんとも今は別れてお話相手の方はいらっしゃらないのでしょうか。今お体の具合などはいかがでしょうか。時々福祉関係の方は訪問してくるのでしょうか。
(私もいつ孤独になるのか。又は早く逝くかもしれませんが)
からだを動かすことは今でも沢山やっています。
今はこれまでに書いた文を読み返して感動を得ている、そういう時期です。