国破れて霞ヶ浦にススキ芽吹き・・「予科練記念館」訪問記
国破れて、あれからもう60余年にもなるんですね。若い血潮に燃えた予科練生の姿はどこにも見えず、上の写真下段、5月の風にススキの若穂なびく霞ヶ浦の土手を歩いているのは飛行服を着た予科練生ではなくて、ただの釣り人でした。
国破れて山河あり、霞ヶ浦に平和の風が吹いて60年、
人間は醜く腐敗して、霞ヶ浦の水も腐った。
祖国の繁栄と同胞の安泰を願って桜花よりも清く美しく散っていった少年たち・・・
昨日は、霞ヶ浦湖畔は土浦の近く、子供のころ歌った七つボタンの予科練ゆかりの地「予科練記念館」を見学。
彼ら若者たちの、祖国に命を捧げて散った、その清く美しい生きざまに感動しない者はいなかろ。
自衛隊武器学校という広大な敷地の一角にありました。ちゃんとした自衛隊の基地ですので、敷地の入口には軍服を着た女の子の自衛隊員が守っていました。特攻隊で死んでいった多くの少年たちの生の写真と母親あての遺書を沢山見ました。
なんと戦争で八割もが亡くなったという。何万何十万と。
石碑ありていわく、
予科練とは、海軍飛行予科練習生、すなわち海軍少年航空兵の称である。・・・・・
太平洋戦争においては名実ともに我が国航空戦力の中枢となり・・無敵の空域を発揮したが、
戦局利あらず、敵の我が本土に迫るや、全員特攻隊員となって一機一艦必殺の体当たりを決行し、名をも命をも惜しまず何のためらいもなく、ただ救国の一念に献身し、未曾有の国難に殉じて、実に卒業生の八割が散華したのである。・・・・・
祖国の繁栄と同胞の安泰をねがう幾万の少年たちが全国から志願し選ばれてここに学び、よく鉄石の訓練に耐え、祖国の将来に一片の疑念も抱かず、桜花よりも更に清く美しく散って、無限の未来を秘めた生涯を祖国防衛のために捧げてくれたという事実を銘記し、英魂の安らかならんことを祈ってここに予科練の碑を建つ。
海軍予科練生存者一同
読むほどに涙がにじむ。
で、こんなにも素晴らしい若者たちが自らの命をかえりみず勇敢に戦ったのに、
どうして「戦局利あらず」負けてしまったか?
という痛恨の反省が、写真上段の石碑でありまして、
「 進取着実 科学精神 」
資源の差もあろうが、科学技術の差が大きかった。
もっと飛行機があれば・・・と悔やんでいる。
また原爆を開発する独創性の差。
それで、自ら新しい地平線を切り開いていく人間たれ、と言っているのである。
もっともここは自衛隊の武器学校、上からの命令を全く聞かない型破りの人間でも具合がわるいかも。
正門を入ったすぐの一番大事なところに、この石碑はある。
(この話、まだ続くのですが、残りは明日にしましょう。)
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