この哲学日記満15年、初期に書いた大恐慌の予測まちがい、お詫びと訂正

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 この哲学日記は今から15年前の2004・01・16にOCNーCafeに書き始めたものです。それを途中でBiglobeのWebryblogへ移した。まず、この点でゴチャゴチャしているし、
 それから書き始め早々に、「現在の不況の成り行きを予測してみせる」などと大上段にかぶって間違い、大恥をかいた。

 全くもう読み返す気がしない。
 長年気がかりだったところを、今ようやく直しておこうという気になった。
 ところが「編集」のところを直して「公開」しても直らない。15年も前に書いたものは直せないみたい。

 そこで、
 15年前に書いた文をここにコピペして、それを校正することにしましょう。

                   ( つづく )

 以下の文は校正済みの文です。


 №3 神による、我々一人ひとりの厳密な支配 ほか
                (Bjglobeーwebryblogに2004・12・05コピペ)
本文

    神による、我々一人ひとりの厳密な支配
                 at Ocn-cafe2004 01/22 14:57 編集

 我々人間は馬鹿。道理もわからず利己的で、また、まるでミミズのように先が見えない。人間は自分の運命を自分ではどうにも出来ない。この意味が大きい。
 それでいて人間は、すでに、こう自意識が発達し、痛覚も発達し、苦しみの感情も強烈になっています。

 だから・・・この状態は無秩序に放置しておくことが出来ません。

 ここに神が介入し、いちいち一人ひとりの面倒を見、また社会全体の秩序づくりをする必要があります。

 一人ひとりの人間を超えたところに秩序が存在する。

 
 さて、ここで、「お前は、ずいぶん偉そうなことを言ってきたけど、その根拠は?証拠は?」の問題になりますね。

 そこで私の世界観の根拠、証拠になりそうなものを少し。詳しくは、あとで述べます。

 ひとつは、・・・「人は、知恵の行き着くところ、道理に収束する。」
          「人は、大いなる苦しみを取り込んで道理にいたる。」
          「人は、道理に納得する。」 「道理は人を納得させる。」

 私の、この世の成り立ちに関する合理的説明に、大いなる苦しみを取り込み、柔軟性を持っている人は、格別の証拠を要せず、自然に共鳴、共感してくれると思います。
 (後記です・・これはこの哲学の科学的根拠にはなりませんね。これは「根拠」と言うより、「根拠」がいらない根拠というか、とにかくこの哲学は現段階では、皆さんの共感を求める意味もあるということです。)

 硬化野郎はダメよ。すでに適応期(ある程度まとまった期間の髄的満足の時期)を経てしまっているため、硬化が起きてしまっている人は、全然この哲学がわからない。
 快楽過剰で傲慢な人もダメ、土台、この哲学は、そんな人たちを対象としていない。そうだ、それから、若くて苦しみの足りない人もピンと来ないと思います。

 二つ目は・・・この哲学は、この世のつくりがこうなっていると、大きな枠組みながら、言うものだから、大まかながら現在の不況の成り行きを予測できる。当ててみせる、いずれ言及する。

(後記ですが・・・このように大言壮語したものの、15年後の2019・02・10現在に至るまで大恐慌は起きておらず、お恥ずかしい次第です。でもその時に、「もしもこの先、大恐慌に陥らなくてすむようなことがあったら、そのときは、人間の腐敗が極端に進行して目も当てられなくなるぞ。最後には大惨事となる」と書いたのは当たる方向に進行しています。
 国の借金も天文学的に膨れ上がって返せる当てもなく、将来に破局を持ちこした形です。
 とにかく、私の哲学は不況がいつ来るかの予測能力など、そんな細かな予測能力はない。
 今は(2019・02・10現在)、
 予測は大不況といった経済問題の予測から後退して、

 そろそろ世の中ドヒャー混迷の時代が来るぞ
  ‥そして哲学の時代へ
  ‥その中で私の哲学がモテハヤサレル時代がくる

 と言っています。

 御面倒でもこの哲学日記の最後まで、私の人生が最後に勝利するまで、読んでいただければ幸せです。)

 それから最後の三つ目は、今(=2004年)から19年前、私50歳のときに、この世界観の根本のところが閃いて以来ずっと毎日、思索しつづけ、比較的細かい部分を補充したり、あるいは、その後に起こった出来事について、この世界観が当てはまるかどうかを考えたりしてきた。それらのことは、全部、日記に記録してある。その詳細な記録・・・具体的な経過の記録、が、人を納得させる力を持つものと思っている。 
 
 
            自己紹介
               at 2004 01/23 06:34 編集

 僕は、あんまり隠し立てをするのは、態度が美しくない、と感じるタチなので、ここらでチョット自己紹介をさせて頂きますと、

 本名 近藤 斉(ひとし)  昭和10年生まれ  茨城は潮来・鰐川の辺り、一軒ポツンとある家に住む、カネなし地位なし名誉なし、あるのは、ただ、そりゃあ下半身にひとつ、つくべきものはついているさ、これだな、こんなんだから、何時までたっても彼女が見つからない。
 女房は10年前に死んだ。いい女だったよ。彼女の目には、この俺の、悪い顔が悪く見えなかったのだから不思議だ。あれが最初にして最後の女なのかな。
 そうだ近頃は、従来からやっているカラオケや囲碁のほかに英語とインターネットまでやるようになって、忙しい。女までも考える暇が無い。ライフワークの哲学も少し面白くなってきたみたいだよ。

 人類史上最も偉大な哲学(=世界観)を打ちたてようとがんばっています。
 


           神は人に快を与えたがゆえに苦を
                   at 2004 01/24 07:31 編集

 しばらくこんな、一方的断定的表現がつづいて、皆さんを退屈させているのではないかと心配です。皆さんを退屈させないように説明してゆく順序が難しい。
 実はこの哲学は最終的にビックリするほど膨大な内容を持っています。その中の大きな部分は、実際にこの哲学が形成されてきた具体的な経過を記述した部分で、それを書く段階に入ると、ただ普通の体験談みたいになって、これまで書いてきたように、一方的断定的なものの言い方をしません。これまでに書いてきたことは、とりあえず、私が最終的に到達した世界観が、およそどんなものか、それを書いているところなのです。今しばらく我慢してね。
 
 というわけで、前回の「神の支配」のつづき・・・

 我々の、よろずよいこと、うまくいったこと、幸せなこと、願いがかなったこと、これらは、そりゃあ我々も頑張ったよ、だけど所詮、神がそうさせてやった、与えた、ものに他なりません。われわれ人間の力よりも、神の力が決定的に作用してのこと。

 神がその人に、快を与えたものであるがゆえに、他の人との公平上、苦も与えなければなりません。

 神はこの世に、子供のうちに死ぬ人とか人生の長い人、あるいは、貰い(=快)の大きい人とか少ない人など、いろいろ豊かに創造する(この世の存在目的=豊かな創造のテーゼ)。
 そう、子供のうちに死ぬのは、あれは偶々死ぬのじゃないよ。神に殺されて死ぬ。みな同じ、死ぬのは神に殺されて死ぬ。

 これら皆の公平を図るためには、ある人に快を与えると、その分、苦を与えて帳消しにしなければなりません、一生全体としてはだよ。この方法以外にない。

 人間よりも快の少ない被創造物といえば動物。ブタも一匹一匹(一頭と言わないと笑われるの?俺そんな偉い人、相手にしない。この世で最も価値の在るのは創造性だ。文章なんかどうだっていい。動物は全部「匹」でいっちゃおう)が神の子、
 だから人間とブタとの間に公平が図られる。
 人間もブタも一生を通じて快苦プラスマイナスゼロ。一匹一匹のメダカも神の子よ。俺チョット金子みすずさんみたいな感性ですね。
 疲れたから・・・ 


           アウシュビッツは普通の人間の代償
                    at 2004 01/25 07:30 編集

 一匹一匹のメダカも神の子である。メダカと人間との間に公平が図られる。金子みすずは、イワシについてだが、漁師たちが、大漁旗を掲げて祝うとき、海の底では何万何十万の仲間の死の弔いをするだろう、とうたった。いい女だったね。あんな女が欲しいな。
 ええーっと何の話だったっけ、メダカ?メダカメダカ・・・

 そう、人間の苦しみの大きさ、これがべラボーに大きくならざるを得ないというお話、

 植物から下等動物へ、高等動物から人間へと進むに従って、快と苦の両方が大きくなっていきます。人間は、動物なんかに比べて、トテモトテモ快楽が大きい、多い。コーヒーを一杯飲んでも快だしビールも快、面白いテレビ番組を見ても快、セックス、食事、そう、何かに成功した時の感動、そう、俺なんか、カラオケボックスへ行って、生ビールを2杯飲んで、「川は流れる」「島育ち」なんかを次々に歌っていくと、自分で自分の歌にシビレル。何か高尚で高度な芸術の鑑賞だって快楽の享受であることに変わりない。そう、子供の成長出世の喜び、孫、ペットをかわいがる・・・

 このように人間は生きている限り、次から次へと快を追求享受しています。意外にも、このことに気づかない人が多いみたい。
 「そんなに、いいこと無いわよ」というが、自分に何が起きているかの分析が足りない。
 人間は動物なんかに比べて、とても快が大きい、多い、のに伴って、苦も、とても大きく、多く、なっています。

 人間を生きて諸々の快楽を享受する代償は、とてもトテモ高い。

 アウシュビッツは、ごく普通の人間を生きた代償である。

 ま、細かくは一人ひとり快苦の状況が違っていたでしょうが、大まかに言えばそういうことになります。

 アウシュで起きたことが、今はガンの外科病棟などで起きている。そう、前にも言ったが、このことは、一人の例外もありませんよ。
 ポックリ死ぬ人、あれはただ死ぬ瞬間がポックリ死んだというだけ。それに先立って大いに苦しんでいる。ま、神はいろんな人間を創っている。大いに出世したりして快・苦それぞれの大きい人、快・苦共に小さい小人物、

 ああもう疲れてきた、最後にチョット言っておくと、

 神が我々皆の公平を図るという場合の公平は、はた目に見て豪勢な暮らしをしているとか出世しているとかではなくて、あくまでその人がどう感じているかという内面基準だよ。神はこの内面を基準にして皆の公平を図っていると思います。
 あっ、遅くなった。今日は囲碁の大会があるんだ。





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