免許更新ウカッタ涙涙6月18日小湊港小サバ68匹メジナ24cmアイゴ18cm

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 近頃はトシヨリの運転に厳しい目が向けられるようになった風潮の中、私は緑内障に白内障、視力が足りない。
 「それでもウカルだろう」と予測した私の哲学の大勝利なんだけど、とても威張る気になれない。
 「神」と警察の方々の、ここクルマ社会に住む老人たちに対する配慮に、ただただ感謝申し上げるのみ。
 申請が終わって駐車場のクルマまで帰ってきたとき、
 老いたりといえども、男、人生で初めて大泣きした。
 クルマがなくては、どう考えても生きていくすべが見当たらなかったのです。

 明けて昨日2019・06・18(火)、ウカッタお祝いに房総・小湊港へ。去年かよったウオポートから入って突き当り左の堤防。朝9時前に到着。
 水温を測ってギョッ,17,5℃しかない。海況図では20℃ちかくまで上がってきたというから来たのに。それでも昼前の11時20分から大潮が満ちに転じる。大きいのは,これに期待することにして、とりあえずサビキを出した。
 ここも小サバだが、ここのは大きい。尾ひれの一番切れ込んだところまでの寸法が15cmほどもある。

 いっぺんに何匹も釣ってやろうとしたら仕掛けが絡んでオジャンになった。どうやっても、ほどけない。小サバ釣りはこれがあるんだよね。やっぱり一匹づつが無難。
 順調に票をのばして、すぐ50匹をこした。あんまり釣っても、ガマたちのために身を切り取ってやるのが大変。
 満ちに転じるまで、まだ時間はあるけど、ゆったりした気分でグラントのダンゴの準備を始める。
 この釣り方、久しぶりなもんで忘れてしまっている。というよりも、ボラに照準を合わせるとダンゴ材は「おからダンゴ」がいいんだよね。私の気持ちが定まらなかったのが敗因で、ダンゴ材がうまく出来なかった。
 それでもオキアミを刻んでダンゴに沢山混ぜるとよいのだけは、しっかり覚えていた。あとは投入後沈下中に、一瞬のうちに小サバに襲われてしまわないようダンゴの固さが重要。

 久しぶりなので、どうも、ぎこちない。
 もう満ちに転じている時刻なのにアタリがない。
 グラントのオヤジさんのようにハリにはオキアミを付けないでやってみたり、私流に、ハリにオキアミの断片をつけて、それと内核ダンゴ、外側ダンゴをひっくるめてダンゴにしたりしてみた。

 辛抱強く投入を繰り返しているうちに突然ウキが横走りして超強烈な引き、超大物だ、
 何だろう?ボラの引き方とも違うし大物アイゴでもないし大メジナとも違う。
 必死でがんばって水面に姿を見せたのは大きな二ザダイだった。
 ガッカリ。
  (後記ですが・・サシミにしたらマグロのトロのような味がした。そう毛嫌いすることないが、ただ料理するのが大変。いやもう、皮をはぐのにしてからが、ものすごい力がいる。小骨を取り除くのも容易でない)

 そのあともアタリが遠かったが、いきなりサオに手ごたえがきて大きめのメジナ。待望のメジナだ。
 (帰宅して測ってみると24cm、これだけあればウレシイ)

 その後もアタリが遠かった。が正午を回って帰りが遅くなるのが心配になりだしたころ、小さなアイゴが来た。
 なりは小さくてもアイゴはアイゴ。これぐらいのアイゴは紀州の一夜干し、開きにして半乾きを焼いて食べる、これが何とも言えない独特の風味があるんだよね。久しぶりに食べられる、うれしい。
 12時40分、そそくさと堤防上にこぼれたダンゴ材を洗い流して帰途についた。

 あれだけ苦悩、夜中も眠れず、免許がなくなる不安におびえたあとだけに、久しぶりに釣らせてもらった。
 二ザダイはガッカリだけど(そうでもないよ)メジナの24cmは一匹でもうれしい。アイゴも小さいのがひとつでも、うれしい。

                 ( つづく )

 最近のアンケート調査では、若い女性の50%以上が高齢者の免許を制限すべきだと考えているという。

 だけど例えば、高齢者から免許を取り上げると、その人が、マイカーを前提にして、半世紀以上にもわたって築き上げてきたその人の生きがいを奪ってしまうことがありますよ。
 しかも、人生100年時代、80歳をこえても、なお、創造的活動、世の役に立つ仕事をしている人もいると思います。
 そういう人から、ただトシをとったという理由だけで一律に免許を取り上げてしまうのは如何なものでしょう?
 トシよりから生きがいを奪うことは、「死ね」、命を奪うことに等しいんじゃないですか?

 警察署では、そんな、一律に年寄りの生きがいを奪ってしまうような、若者の自己本位なことはしなかった。
 年寄りの身になって、よく考えた「神様の対応」をしてくれました。

 眼がしら熱うして心より感謝申し上げる。


 それにしても私の哲学は、よく、このたびの難題の結果を予測して当てられるところまできた。
 
 ただひとつ「自分は、いささか、人の心に鋭い」という感性自慢だけを武器に一生懸命生きてきた我が人生、

 今から34年まえ私50歳のとき、夜の勝浦港で神の心が閃いて以来、今日まで
 神とは、どういうお方なのか?
 神のやり方、パターン
 神は、私をどうしようとしているのか?
 などを、いろいろ探求し、
 築き上げてきたこの哲学も、

 自分自身が人生の難題をのりこえるのに役立つところまできた。

 いわく、
 「わが身におこる a-b-c-d-・・・なる出来事で神の心を知る」

 この感性が、この哲学のカナメになっています。

                  ・・・・・・・・

 不思議なもので、ここクルマ社会に住む免許のない女たちには、みな、クルマを運転する人が付いていて、
 いや、不思議でも何でもない、この世は神がいて一人一人の面倒を見ている、
 ガマ女には私が、ほとんど毎日のように、あっちへ連れていけ、こっちへ連れていけ、と運ばせられています。
 ガマこそ私の運転が危なっつかしいのをよく知っている人。いつも助手席で見張っていて、「危ない!!来てる」とかウルサイ。

 申請に行く日も近づいたころ、
 ちょっとは脅しておいてやろうと
 「もしかしてウカラナイかもしれないから、あなたも覚悟しといて」
 と言ってあった。

 ウカッタあと真っ先に彼女に電話したところ、

 「わたしが祈っていたから」

 「へえ、そうか、神様に祈ってくれていたの?
 あなたの願いが神様に届いたんだね」

 ガマの願いが天に通じてウカッタらしい。
 
 
 

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