みんなオナニーしていることを打ち明けて戦争のない世界を

 「ガマとの付き合いを語る時代」に入っているつもりが、意外にもオナニー、オナニーと、オナニーばっかり語っている。
 これおそらく、神が私に、「オナニーについても革命」をなさしめようとしているのに違いない。

 もちろん哲学ですから、それに対する根本的な考え方、オナニーをどういうものと考えるか、その基本姿勢に関して革命的提言をしようというわけです。

 セックスをしていることは恥ずかしくないが、オナニーをしていることばっかりは恥ずかしくて他人に言えない。

 してるのにしていない振りをしたがるのは、どういうわけだろう?
 そりゃまあ、自分はそんなみっともない姿態のことはしていないと他人に思わせることによって、格好をつけたいんだろうね。一人でやるのは格別かっこわるい。

 実態以上に自分を格好いい人間だと、ひとに思わせようとしている。
 これも欺瞞性だ。

 ん・・・織田信長がオナニーしていることを打ち明けたら、部下に対する睨みがきかないかな。また女の場合でも、江戸大奥の一番地位の高い女性が、そんなことをしていることを打ち明けたら、他の女たちに対して睨みがきかなくなるかな。
 欺瞞によって、ひとを心服させようとしている。

 オナニーをしていない振りをするのは、なんだか気取った、肩肘張った姿ですね。
 かみしもを着て、あまりにも格好をつけたがった姿。

 いがみ合いが起きそう。戦争が起きそう。

 それに対して、
 ガマが口を横に開いた恥じらいの笑顔で、「やってる、ふふふ」と言っても、愛嬌でこそあれ、何ら彼女の魅力を損なうものではない。
 彼女の友だちも、亭主がいるのに内緒でオナニーしているとガマにしゃべっているという。

 そこには、みんな肩の荷を降ろした、肩肘張らない姿が浮かびあがる。

 人間どうし、いがみ合いのない平和な姿。
 誰が誰の上に立つのでもない。みんな一緒で仲のいい姿。

 しかもそれは人間の真実にのっとり、欺瞞のない美しい姿。


 そんな恥ずかしいことをしていることの埋め合わせは、一生懸命努力をして、何か素晴らしい仕事が出来るとか、真実人間が素晴らしいこととかによって行う。
 性がらみで恥ずかしいことをしていても、人間が素晴らしくあれる余地は大きい。

   格好は欺瞞によってつけるのではなしに、
     努力によって、
        真実自分を素晴らしくすることによって。

 子供に対してもそうよ。大人が一生懸命努力して素晴らしい姿を見せればいい。欺瞞によるのではなしに。
  

 

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