結局鈴香は被害者を「装っていた」のではなく「のり移っていた」

 結局畠山鈴香のあの異常な行動、すなわち、自分の子を自分で殺しておきながら、そうして、捜査当局が事故死扱いをしたのに、なおビラを配ってまでも犯人逮捕の協力を訴えたり、また我が子彩香の位牌をもって学校へ出かけ、同級生のクラスに出て位牌を自分の前のテーブルに置いていた異様な光景は、
 多重人格症ということで理解できる。
 普通の人間が被害者を装っていたのではなく、多重人格症という精神を病んだ者が、
 「我が子を殺したのではない自分、別の人間、被害者の身」にのり移っていたのではないですか?

 自分がやった犯罪を隠そうとしたのなら、警察が事故死扱いしてくれたのに対して、あんなにもしつこく、犯人を探してくれ、などという態度はとらなかっただろう。
 しかも豪憲くんを殺した動機が、彩香と同じ年頃の子どもを殺すと、警察が真剣に彩香殺しの犯人を探してくれるだろうと思ったというのだから、これはもう尋常ではない、完全に、自分は単なる被害者、彩香を殺したのではない別人、にのり移っていたとしか思えない。

 人間にはこんな病理現象もあるんですね。子供のときに親から繰り返し虐待を受けたりすると、このような多重人格症の人間が出来あがるという。

 私、ここにきて英検のテキストの「多重人格症」に出会ったことに神の所為を感じる。
 人間鑑定士は今の私には難しすぎる、手に負えない、ということで放置してあった。この文に出会ったおかげで畠山鈴香に何が起きていたのかが少し解ったような気がする。
 人間鑑定士は私の哲学だけではダメで、これと精神医学とか犯罪心理学とかが結びつかないといけないということも解ってきた。

 極刑になりそうもない人間に限って自ら「極刑を望む」などと言っている。
 母親が幼いわが子を殺すケースなら、ちょくちょくある。彼氏が出来た場合なんかに子供がうっとうしくなるのかな?まあ直接の殺し方が、彩香を持ち上げて川へ放り込んだのではなくて、欄干に座らせておいたのが寄りかかってきたから振り払ったというのも、少しは情状酌量してくれるだろうし、また上記のように、鈴香は何だかアタマのおかしい人間ということも、刑一等減じてくれる理由になるでしょう。合憲くんの方はまともに殺したのだから、軽くはないだろうが。

 今朝はたったこれだけのことしか書くことがありません。人間鑑定士問題の補充ですね。
 ん・・・腰痛はだいぶよくなってきた。やはりまえに言った通りだ。人間に設計付与されている限りの一番大きな痛み、短い時間の耐えがたく強烈な痛み、を経験して、死が怖くなくなったとたんに、痛みが和らぎだして毎日すこしづつ良くなってきている。あと少しで釣りも復活できるだろう。

 だけど、短い時間の強烈な痛みは乗りこえられるようになったものの、まだ長期にわたる人間の苦しみの最大のものの経験が十分でないとしてか、今それを経験させられています。
 「欲求を捨てよ、求めないこと」などと言われても、それじゃあ毎日をどうやって過ごせばよいのか。毎日を過ごせる方法があるのなら、私だってそれ以上を求めはしませんよ。
 そんな昔の古臭い抽象論ではこの元猛烈社員のからだはどうにもならないのです。

 それはそうと、ひどい腰痛のときにね、私のは腰の筋肉の使いすぎで痛くなったものですが、あのときは腰が曲がらなくなっていました。つまり、筋肉のこわばりを伴っていた。ひろく筋肉の使いすぎで痛くなる場合は筋肉が固くなることを伴っていると思われます。
 筋肉が硬くなることによって血流がわるくなり痛み物質が発生するという仕組みかと。

 そうだ、私の五十肩のときも、痛いのと腕が持ち上がらないのとが重なっていた。
 (ついでに言っておきますと、五十肩の治し方は、肩を温めるのではなくて、その痛い方の手を温めるのです。外出するときにポケットにホカロンをしのばせておいて、それをしょっちゅう掴んでいる。私の場合こうやって過ごしていると治りました。)

 筋肉が柔軟であることほど大事なこともなさそうだ。まあせいぜい柔軟体操、ストレッチ体操でも心がけましょう。これもやりすぎると痛くなりますが。

 ここのところ、痛みが和らぐに伴って体がよく曲がるようになった。あと少しかと思う。
 

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