われは三界に家なし

 ようやく私の家を写真で見ていただく機会を得た。
 
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 一番手前のうちです。白壁が「へ」の字に見えているでしょう。その下はチョコレート色に塗ってあります。
 こんな一軒家に私は世塵を払いて住んでいる。
 まさに世を根本から覆す偉大な哲学をなすにふさわしい所かと存じます。

 私はテレビが大抵は面白くないので、宵のうちからウトウトし始める。目覚めはいつも深夜。写真の左手の方、川の向こうが東の方角に当たり、鹿嶋臨海工業地帯の灯りが点々と見える。私は起きるとすぐ、縁側の窓からその色とりどりの宝石が点々する夜景を見るのを楽しみにしている。晴れた日には星空も美しい。ひときわ大きく輝く暁の明星はことのほか嬉しい。宵のうちにはジャンボ機が次々と飛来するさまも壮観です。東の方(写真左手)から飛来して、右手の方(成田)へ飛んでいく。

 だけど何事も長所と短所、冬には家の中まで寒風ふきすさぶ。相沢忠洋さん(=日本の考古学を塗りかえるという偉大な仕事をした人)じゃないが、私も一家団らんまでもは神はくれない。そんな寒風ふきすさぶ中で孤独な一人住まい。ガマ女とはカネの関係だ、心の通い合いはない。

 第一、こんな調整区域の一軒家を百姓でもない者が取得しても、建て替えることは出来ないという法律になっている。
 そんなに大きく所有権を制限されては、自分のうちという気がしない。私は自分のうちをもっていない。

 私は三界に家なし。

 私にあるのは、おとといの写真にありますA4版の24cmに積みあがりたるものだけ。

 これだけだ、私の財産はこれだけ。他には何もない。

 ま、現時点ではそうだが、そのうちこの哲学でもって、素晴しい友が出来るでしょう。

 もうそろそろ、その時期が来てくれてもよさそうに思うのに、神はなお、「お前の試練の時代はまだ底がある」としてか、未だに、いい時期は来ていない。

 私はもう、昨日あたり、燃え尽き症候群だ。何にもする気がしなくなった。私の可能性はすでに全部出つくした。
 これより先は、こうしてフィット・アップした能力でもって、快なる結合をしていくのみ。

 それとも、あともう少し、人間として受忍しなければならない最大の苦しみを経験するという仕事だけが残っているのか?
 なにしろ私は、貰いが超ドデカイので、苦しみも超ドデカクなる。ホトホト往生しています。


 ところでさっき、「世塵を払いて」と言いましたが、私が昔の隠遁者のように山奥に住むなどしては、この偉大な哲学は出来なかったのです。こんな田舎でも、ここは東京と羽田に直結している。すぐ近くに高速バスの乗り場があって、どちらにもノンストップで1時間半で行ける。まさにこの中央に直結していることによって、私の哲学に豊かな内容を盛れることになった。
 絶妙!他人の掣肘を受けずに100%自由に生きられて、しかも中央、全国と直結している。インターネットも与えられて世界と直結している。

 すべては神だ、偉大な哲学をなさしめるように諸条件がうまく揃えられている。

 私に三界に家がないこと、一家団らんがないこと、も大事なのです。この不安孤独苦痛がエネルギー源となって、私を動かしてきた。大方の人たちのように、素晴らしいマイホームや一家団らんを与えられたりすると、それは凡庸なる人生のパターンだ。
 (凡庸な人生も一つの生き方だからそれでよいのですが、今の世は凡庸な人の数が増えすぎているんじゃないですか。生態系上過剰。彼らは昔の旧人、ネアンデルタール人に相当するみたい。そのうち数を大きく減らして絶滅危惧種に指定されるかもよ。人間は創造的でないと、この世に生きさせてもらえる積極的な理由が乏しい)

 ん・・・私も最後の最後は、かなりの満足、現在快をもらえるかな。相沢忠洋さんも、最後までには夢にみた一家団らんを貰えた。

 

 

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