信州・浅間訪問記
実は一昨日、不安定な空模様の合間をぬって、信州・浅間へ行ってきた。ふだん、ろくに山とてない田園地帯に住んでいる私にとって、久しぶりに見る信州の山々は圧巻でした。まず玄関口にある妙義山のガガたる山容に驚かされ、辺りの山々が恐ろしくさえなった。鬼押し出しで間近に見た浅間山にも圧倒されました。
が、博物館二つ、美術館二つも回って、おまけに鬼押出しへも行ったのに、写真一枚撮らずに帰ってきた。
ん・・信州がわるいのではない。私自身が末期症状なのです。
会津磐梯山に続いて、ここも私にとって、山のほかは、目の覚めるようなものはなかった。
もうローカル美術館・博物館めぐりも終わった。
これまでに書いてきた文の読み返しをやっているのですが、人生の最後には誰でもそうなるパターン、自分の創作に自分で感心感動しているものだから、他のものは一切面白くなくなっているのです。
で一年前の2007・9月にも、今と同じことを言っていて、「もうすることがない、私のフィット・アップ期は終わった、株が下がるぞ」などなど。
ところが実際は、その後も次々と、することが出てきて、哲学日記にも大事なことが書けた。それが一年間にも及んで今日まで来ている。株も下がらなかった。
そして今また、一年前と同じことを言っているのである。「もうすること、したいこと、がない、全部終わった、書きたいことは全部書いた、女房の写真まで載せられたのだから、これ以上書きたいことは残っていない。私のフィット・アップ期が終わったのだから、こんどこそ本当に株が下げていくとか何とか、私の身に何か大きな変化が起きるだろう」
こんどこそ本当というなら、その根拠は?
ガマ女と、よりを戻すことはもうないし・・・この一年間に、私の可能性として潜んでいたことを全部開花させたという実感があるし・・・
私自身、もうこれで満足なんだ。
だけど、まえもそんなことを言っていたじゃない?
ん・・・決め手は今回もないのかな?でも、今度こそ、もう私の可能性は残されていないと思うんだ。心底からの実感だ。
それやっぱり、「そう思う」とか「実感だ」とか言っている。そんなものは客観的な根拠にならない。
まことに、これからわが身に起こること、世の中に起こること、を確実に予測することは難しい。
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なお、信州訪問記の写真がこんな写真とはおかしいと思うでしょうが、赤い橋の方は、これまでにも私のうちから撮って小さく見えていたものを、今朝は橋に近づいて撮ったものです。下の写真は、その橋の向こうに広がる外浪逆浦。そこは、私のうちの前を通り橋の下をくぐって流れて行った北浦の水と、右手の霞ヶ浦から流れてきた水とが合流するところ。広々していて、いつ眺めても気分がせいせいします。私はしょっちゅう行って土手上を車でゆっくり走る。この浦の水はさらに左手(東の方)へ流れて、太平洋に注ぎます。
信州の山々は、高速道路を走っている最中に見たので写真に撮りにくかったのと、そんな山の写真は、他の人が素晴らしいのを撮っているから、いまさら私が撮ってもしようがないと思ったのとで撮りませんでした。
私はやはり私でないと出来ない創造をすべきではないかと思って、今日の写真なんかは平凡かと思いますが、 私のうちの周りの写真ばかり撮っているのです。
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