イリヤ・プリゴジンの新聞記事によせて

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  (今から22年前1986年の新聞記事です) 
 この、ベルギーのノーベル化学賞受賞者イリヤ・プリゴジンの記事に関しては、まえに書いたことがある。昨日ノートの日記を読み返していたら、新聞の切り抜きが出てきたので、こんどは写真を載せて、もう一度しゃべりたい。
 と言っても書くことないな。あのときに書いたことで尽きている。

 彼は、
 「急激に変化する現代は、同時に新しい合理性創造の時代でもある。もし、われわれが自然と人間行動の両方に適用できる新しい合理性を見いだすならば、これまでとまったく違った新時代が始まるに違いない」
 と言う。

 まさに私の哲学が、その新しい合理性を見いだしたものに他ならないじゃありませんか?
 (私の哲学における神の無価値公平性、人の一生はみんな快苦プラスマイナスゼロで公平、人間にはアウシュビッツ不可避、の原理は、
 自然界の食物連鎖の基本構造、その苛酷さが、人間にも及ぶ、人間も食われる側の痛み苦しみを免れない、かつ、下等動物から高等動物へ、人間へとなるにしたがって、快と苦の双方が大きくなっていく構造になっている、としたものだから、
 私の哲学は自然と人間に共通の合理性を見出したものと言えるでしょう。
 またたとえば、この次の日に書いた「ニジマス比喩説」でも、ニジマスと人間に共通の合理性を考えている。)

 まさに、ピタリそれなのに、皆さんどうして無反応、馬耳東風なんでしょうね?首をかしげたくなる。

 実は私には解っているんだ。
 神の、この地上における創造の仕方が、古来、そういうものだからです。

 これまでのありように大革命を引きおこすような偉大な発見、創造に対しては、
 古来、初めのうちは、人々は無反応としたもんだ。

 なかなか理解されずに、
 しかもそれが一個の新しい思想ともなれば、激しい激しい反発の嵐を見て、

 ずっとあとになって、ようやく、理解され始めるというパターン。

 ダーウィンの自然科学、多くの実例で証明したそれさえも、出版されるや激しい反発に会ったという。本格的に認められたのは彼の死後だと言います。

 まして私のは、証明するのが自然科学ほど容易でない哲学だ。
 これはもう絶望的ですね。私の生前に大ウケするのは。

 でもまあ、
 「神は私が苦しんだ分の喜びはくれる」

 どういう形でくれるんだろうね?
 まさにこれが、私の人生、今後の見どころ。

 深く理解してくれる女を、たった一人くれるだけか?
 それともゴッホ並みかな。弟テオに深く理解されて、その他ロートレックとか数人に評価された。
 それとも、オームの麻原彰晃並みか?かなりいたな、数百人?

 それとも、お釈迦さま並みか?生前はインドの何とかいう山で弟子が1万5000人?その他一般信者多数?

 ホリエモンの天井を予測して当てたし、
 これから私の適応期入りを、みごとに当てるのだから、
 もしかして、私が生きているうちに大いに認められるかもよ。


 まあ兎に角、もう私の心身の衰えがひどい。是非とも書いておきたいこともなくなって来ている。

 かなり急ピッチで私の時代、私に快なる適応期、を招来してくれると思うんだけど・・
 これだけ永いこと、不適応期に耐えてきたのだから、この先、いい時期は15年や20年は欲しい。
 そろそろ、私の時代へ向かって急ピッチで変化していってくれないと、私の快なる時代が足りなくなってしまいそう。

      ・・・・・・・・

 そう、まさにプリゴジンさんの言うように、私の哲学によって、まったく新しい時代が始まることになりましょう。

     私の哲学によって、人類は、
         子供の時代から、  大人の時代へ。

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