来るべき食糧危機に備えてアメリカナマズを釣る練習中
(昨日のNHK新日曜美術館では、正倉院御物の鏡に埋め込まれている貝殻の微妙な虹、その中の赤い花と、壇ふみ、生け花がきれいでした。)
近頃のニュースでは世界中で不況が深刻化している様子が伝えられています。日本の町工場でも仕事が減って経営者は先行きを心配しているし、ハンガリー経済は雷雨だそうで、失業した人たちがかわいそう。
だけど人間の一番不幸な時期はアウシュビッツまである。これが普通の人生を生きる代償だから、彼らの不幸はまだ底ではない。
そう、アメリカナマズも今アウシュビッツだ。私に虐殺されている。
まえにも話しましたネコ、後ろ足が一本しかなくて、近所のネコなんですが、私のうちへやってきて、
「美味いもの食わせ、たとえばタイの刺身とか。ペットのエサなんか、まずくて食えねえよ」と言う奴ですね。
私、「いくらなんでもタイの刺身は食わせられないよ。その代わりアメリカナマズを釣ってきてやる」
と、自転車に釣り具を積んで、秋晴れのよい日和、土手の上を10分ほど行ったところで腰を下ろす。ここは外浪逆浦と言って、霞ヶ浦から流れてきた水と、私の住む北浦から流れてきた水との合流点。広々としていて気もちがいい。
ところがアメリカナマズといえども、いざ釣ろうとすると簡単には釣れない。
なかなかアタリがないので、いろいろと思案をめぐらす。
「ナマズはウロコを着ていないので近頃の急冷が身にこたえて、どこかの深場にもぐりこんでいるのかな?」
「困ったな。手ぶらで帰ったりするとネコにメンツが丸つぶれだぞ。あいつは私が釣ってくるのを当てにしているからな」
いろいろと気をもませられた揚げ句、そうこうするうちにエサの匂いがその辺り中に漂っていったのか魚が寄ってきた。最後までには釣らせてもらえて、
40cm足らずのアメリカナマズが一匹と、やはり同じぐらいの大きさのコイが一匹釣れた。コイは人間にとっても貴重だ。あんな横着なネコには食わせられないよ。放してやってアメリカナマズだけを持って帰った。
(日によってはボラばっかり寄ってくることがある。この魚は手ごわい。この魚も釣り師の邪魔をするように神が配置してある「ザリガニ抵抗」です。エサをちょっとくわえてはパッと放す、また軽くくわえては放す、を繰り返すものだから、釣り師は空振りばかりさせられる。ミミズのエサで釣るのなら、まだ少しは釣りやすいが、私はネリエサなもんで容易でない。
ま、それでも大体一時間半ほどで2匹ぐらいのペースで釣れます。一つは放し、一つだけ持って帰る。)
ネコは大喜びして、口を血だらけにして食らいついている。
見ちゃおれないよ。魚の身にもなってみろよ。自分が魚だったら、どう思うか。
食物連鎖・・残虐なこの世のつくり。この世の本質が残虐。
私も、この魚の立場を免れないんだ。必ずアウシュビッツをみる。
人生は厳しい。
でもまあ、人生は、
「生まれてこなかったらよかった」とはなっていない。
必ず一方で、それに見合うものは与えられている。
一切が道理にかなっているのだ。アウシュも仕方がない。
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そう、私がアメリカナマズを釣るのは、ここらで、来るべき食糧危機に備えてアメリカナマズを釣る練習をしておこうという意味もあるんだ。
今のうちから、その習性、釣り方を勉強しておかないと、いざという時に釣れないからね。ボラだってそうよ。
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