「人に愛される芸術」をめざして戦った博多人形師たち
(これは「木漏れ日」と題された作品で、まばゆい光が上から差し込んでいます。日本人形としては異色の味わい。何か新しいものを生み出そうとガンバッタ一人の人形師の努力の結晶かと思います。)
人間トシをとって、なにか興味をもてるもの、好きなもの、夢中になれること、があることほど幸せなことはない。
私、ここのところ、博多人形へ新しい世界が広がって上機嫌だ。
図書館へ行って、「人形の美」という本を見てみたところ、どの人形も、つまらない顔をしている、とても芸術と言えるしろものではない。
が唯一つ、博多人形師・小島与一という人が老人を描いた作品がよく出来ていて迫力があった。
1925年(大正14年)パリの万博で、小島与一の作品「三人舞妓」が銀賞、仲間二人も銅賞を獲得、これが博多人形が世界に認知された瞬間だったと言われる。
私、どうして博多人形がこんなに芸術にまで高められていったのか興味をもって、ネットでいろいろと検索してみたところ、
男たち、博多人形師たちの、むせ返るような熱いドラマ、懸命の戦い、が浮かび上がってきた。
小島与一らの師匠にあたる白水六三郎という人が偉かった。明治のこと。
白水こそは、博多人形を何とか芸術のレベルに引き上げようと懸命に模索した人だった。
神のネラあるところには、うまい具合に人材が集まる。
彼の周りに近代彫刻家、西洋画家、日本画家などが集まってきて、人形の型を石膏でつくる方法を教えてくれたり、あるいは、細かな彫刻の技法、絵付けの技法を教えてくれたりした。
もはや博多人形師の工房の様子は、芸術家の工房と異ならなかったと言われる。
そうして博多人形は、白水の弟子の小島与一らの時代に世界に輝くことになった。
彼ら人形師たちは、ただに、彫刻家、西洋画家、日本画家らから教わったレベルに留まったのではない。
彼ら人形師たちは何よりも、
「実在の女性をモデルに、そこから情念を描き出す天才」だったのである。
この、
現実にあるものから一段と高められた「情念」こそは、芸術のもっとも高度な部分、
博多人形に何とも言えない味わい、美しさ、かわいらしさ、を醸し出している。
博多人形はもはや世界に輝く芸術である。西洋の芸術に負けない。
彼ら人形師たちは、「人に愛される芸術」を目指して奮闘した。
博多人形師とはどういう人たちなのか?を問われるならば、
「どうしたら人々の心を捉えられるか」を日夜問いつづけた芸術家だと言えるだろう。
いわく、
博多情緒の粋、ひとの心を魅了してやまない博多人形!
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そんなに素晴らしいものなら飛行機代も高くなかろう。すでにカネをおろしてきてある。
今日1月28日は全国的に天気が悪くて福岡も例外でなく足止めをくらっていますが、
これも神のネラだろう、おかげで上記のことが書けた。
明日からよくなるという、行ってこよう。
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