私が毎日釣りに行くと①港の魚が減って他の人が楽しめなくなる②私のマキエで海が汚れる
2015年梅雨どき、依然、鹿嶋港ポートラジオの一番奥の堤防でやっています。(昨日07月02日、メジナ20cm×1匹、18cm×1匹、コッパ10匹計12匹)(06月28日、メジナ26cm×1匹、20cm×1匹、コッパ7匹計9匹)(我が家のノウゼンカズラが大きく成長。この夏オレンジ色の花を咲かせ初めました)
上記の二日分の釣果は、ほんの一例です。私はこの7月15日が来たら満80歳になる。トシヨリの特権、悪天候その他で釣りに行けない日の他は、しょっちゅう行っています。3時間ほどやって、だいたい上記程度釣れる。
ハッと気が付いてみると、私はなんと自己本位、自分勝手な人間だろう!
「これでは少ない、型が小さい。これではプライドが害される。もっと、もっと、hotto motto・・」と、なんとか大きいのを沢山釣ろうと必死だ。毎日、如何に釣るか?を考え工夫している。
一人の人間が、そんなに沢山、毎日のように釣って帰ると他の人が楽しめなくなりますよ。
とくに、ここ鹿嶋は北の方から降りてくる冷たい水と利根川から吐き出される冷たい水とで、メジナチヌなど居つきの魚は少ない。
加えて、私のようなマキエをする人間がしょっちゅう釣りに行くと海が汚れる。
生態系上の視点ですね、ひろく他人の立場も考えた、いわば神の視点ですね、
これが、幼児のころより釣りをやって80年、如何に釣るか?を一生懸命やってきた人間には、
そろそろ、そういう広い視野を持って行動しなさい、と神が言っているかに見える。
そう、初心者とか、タマにしか釣りに行けない若い人には問題にならないことが、
釣りのウデがあがり、かつ、毎日釣りに行ける身分になると、
このような生態系上の視点、広く他人の立場、すべての人の立場を考えた神の視点、が必要になる、
(人生は子供には甘いが大人になると厳しくなる、
知恵をつけて自由を獲得した大人は、人間社会を含む全生態系がうまく運営されるよう広い視野をもって行動しなければならない)、
ということです。
私は、これまでだって他の人に比べると撒く量は大幅に少ないし、余ったら持って帰るようにしていますが、今後は、もっと厳しく広い視野で行動するよう努めましょう。
(コッパのメジナはウロコとハラワタをとったあと塩を少しまぶして素揚げにすると美味い。ほんの少しコゲかかるところまで揚げる。アバラボネやヒレが口に入っても不快でない)
上記の二日分の釣果は、ほんの一例です。私はこの7月15日が来たら満80歳になる。トシヨリの特権、悪天候その他で釣りに行けない日の他は、しょっちゅう行っています。3時間ほどやって、だいたい上記程度釣れる。
ハッと気が付いてみると、私はなんと自己本位、自分勝手な人間だろう!
「これでは少ない、型が小さい。これではプライドが害される。もっと、もっと、hotto motto・・」と、なんとか大きいのを沢山釣ろうと必死だ。毎日、如何に釣るか?を考え工夫している。
一人の人間が、そんなに沢山、毎日のように釣って帰ると他の人が楽しめなくなりますよ。
とくに、ここ鹿嶋は北の方から降りてくる冷たい水と利根川から吐き出される冷たい水とで、メジナチヌなど居つきの魚は少ない。
加えて、私のようなマキエをする人間がしょっちゅう釣りに行くと海が汚れる。
生態系上の視点ですね、ひろく他人の立場も考えた、いわば神の視点ですね、
これが、幼児のころより釣りをやって80年、如何に釣るか?を一生懸命やってきた人間には、
そろそろ、そういう広い視野を持って行動しなさい、と神が言っているかに見える。
そう、初心者とか、タマにしか釣りに行けない若い人には問題にならないことが、
釣りのウデがあがり、かつ、毎日釣りに行ける身分になると、
このような生態系上の視点、広く他人の立場、すべての人の立場を考えた神の視点、が必要になる、
(人生は子供には甘いが大人になると厳しくなる、
知恵をつけて自由を獲得した大人は、人間社会を含む全生態系がうまく運営されるよう広い視野をもって行動しなければならない)、
ということです。
私は、これまでだって他の人に比べると撒く量は大幅に少ないし、余ったら持って帰るようにしていますが、今後は、もっと厳しく広い視野で行動するよう努めましょう。
(コッパのメジナはウロコとハラワタをとったあと塩を少しまぶして素揚げにすると美味い。ほんの少しコゲかかるところまで揚げる。アバラボネやヒレが口に入っても不快でない)
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