哲学整理№88「神は我々に争い、戦いの関係を創造する」「物質の偉大な性質」 再掲
神は我々に争い、戦いの関係を創造する
at 2004 06/02 10:59 編集
このテーマについては、すでに書いたと思いますが、この機会にちょっと整理してみましょう。
1990年3月13日の私のノートの方の日記
今朝、教育テレビで、中岡哲郎先生(大阪市大、経済学)の講義をきいた。
「一つの矛盾を解決しても新たな矛盾を生み、それを解決しても、また新たな矛盾が生じる・・・永遠にこうだ。矛盾が解決し尽くされるということはない。我々は20世紀に手痛い失敗を繰り返し、多くの血を流してようやくこのことが解った。」
「矛盾」という言葉で、どこまでの範囲をカバーしているのかな?経済学だから、単に人間どうしの対立関係を意味するのかな?だとすると、これプラス、我々に降りかかる厄介な諸問題、環境問題とかサーズとかの病気ですね、さらには我々の身の回りにいるザリガニども、イヤな野郎ですね、こういうものも付け加えたものが私の考えになります。我々の世界はいつまでたっても、人間どうしがケンカしたり、果ては殺しあったりする関係とか、そのほか我々にとって厄介な諸問題、我々の邪魔をするイヤなやつとかはなくなりません。なにしろ神が意図的にそれらを創り出しているのですから。
もう何度も書きましたが、神は、(1)我々の能力を向上させて、次世代の宇宙を創れるまでにもっていく、(2)神の無価値公平性、(3)我々の世界のありようを豊かにする、などのために、我々人間の間に争いの関係を創造し、また我々に次々と厄介な問題を提起してきます(神の問題提起主義)。
さらにザリガニどもの配置ですね。ホントに盛りだくさんの苦痛メニューをこしらえてくれる。
資本家と労働者の対立が以前ほど先鋭でなくなり、また、かつてのような厳しい米ソの対立がなくなったと思うと、こんどはアメリカに対してイスラムの人たちが激しく抵抗しています。ブッシュはアフガンでうまくいったものだから、それに味をしめて、イラクでもあのようにうまくいくと思ったのだろうが、あにはからんや、イスラムの人たちの抵抗が激しくて思うようにならないようです。神が意図的にこうしているのですね。
それでも超大国アメリカに対するイスラムの人たちの抵抗は、アメリカ アズNo・1の地位を脅かすまでにはなっていないでしょうか。
国どうしの対立関係が、今のところかつての米ソ間のような厳しさがなくなっているといっても、我々人類は、深刻な環境問題とか人口爆発とか、サーズとかの新しい病気の発生とか、次々と厄介な問題を、神に放りこまれてきています。
でもこれらは、上記の(1)(2)(3)の意味ですね。無秩序に、たまたまそんなことが起きているのではない。我々は我々に出来るだけのことをして、問題の解決に当たっていけばよいわけですね。
物質の偉大な性質
(物質の感覚性、またエネ体論)
at 2004 06/03 13:34 編集
過去19年間に、エネ体論や人間行動の原理など、ずいぶん細かいことも考えた。そういうことは、あんまり面白い話ではありませんので、とりあえず省いています。今日のタイトルも、その面白くないテーマに属するものとは思いますが、ほんのチョッピリは面白い意味もあるように感じますので、ちょっとメモ程度に記しておこうと思います。
我々の世界を構成する素材は、我々が高校の化学の時間に、原子核のまわりを電子が回っていると聞いた時に受けた印象のものとは根本的に違っている。そんな無味乾燥な物質がこの世の素材ではない。
我々の世界を構成する素材は、「それをうまく組み合わせると、ついには人間の精神までも生む」、そういう性質を持ったものです。素材の段階から、もともとそういう性質(=うまく組み合わせられると人間の精神までも生じる可能性)を持ったものだと考えられます。「素材の精神性」「可能性としての精神性」といいますか、「素材の感覚性」といいますか。
私は最初にこの考えが閃いたときに、ちょっと驚いた。皆さんにとっては、そんなことは当たり前のことで、「オメエ今更なに驚いているんだ」 なのですか?それとも、「その考え間違っているよ」 なのですか?
この話をもう少し追加しておきましょうか。
水素と酸素が結合しますと水が出来ますね。不思議だ。水素と酸素が手をつないだだけで、それまではこの世に存在しなかったもの(=水)が生まれている。何だか、無から有が生じた感じですね。我々の世界は、このように元は単純な素材だったものが、うまい具合な結びつきを重ねていくことによって、それまで存在しなかったものが、次々に生まれていって、ついには今日我々が見るような、豊かにモノがあふれる世界になって きた。我々の世界は、無から有が生じるんだ、そんな感じ。
で水素と酸素の結びつきによって、新たに何が生まれたのか、をもう少し詳しく考えて見ますと、
もちろん、水という性質の誕生ですから、外に向かっては、水の持つ芸術性と機能性が生じ、うちにおいては、水の内部構造、各要素がうまい具合に組み立てられて、ひとまとまりのメカニズムが生じています。
水が出来たことによって、水素と酸素のときにはなかった、我々が五官で水と感じる芸術性を持ったものが誕生し、また地上の全ての生命を育むことができる水という機能性を持ったものが誕生したわけですね。
この水と、さらに他のものがうまい具合に結びつきますと、外に向かっては、また新たな芸術性と機能性を持ち、内部では諸要素がうまい具合に結合されたメカニズムをもった結合体(エネ体)が生まれます。動物とか人間とかが、まさにその典型ですね。
このように我々の世界に存在するものは、はじめは単純だったもの、素材、がうまい具合に結びつけられて、いろんな沢山のものが生まれ、ついには人間までもが誕生するに至ります。人間の精神までもがですね。
だからはじめの素材に、最初に言ったように、うまく組み立てられると人間の精神までも生じる性質(可能性)があった、というのが、私の考えです。
はからずも、「エネ体論」を少しばかりしゃべりましたが、水や花や自転車とか、霞ヶ浦とか動物とか人間とかのエネ体は、自ら力を出す性質をもっていたり、他のエネ体に力を出させる性質をもっていたりします。
こういう性質も、エネ体の持つ芸術性と機能性の中に含めて言ったものと思ってくださいね。
エネ体は、この、力を出す、或いは、出させる性質によって、他と結びついたり、他と排斥し合ったりします。
(エネ体論は、このあとも何回かしゃべります。)
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