5月26日自衛隊堤防小サバ50匹&カラオケ再開、視力低下恐怖

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(昨日2019・05・26館山自衛隊堤防、朝の8時から11時までの3時間で小サバ、イワシ交じりが50匹ほど。上の写真で向かって左半分はガマたちが食べやすいようにサバのほとんどを三枚に切り取ってやったところ、右半分は私が食べる骨せんべい用)
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(84歳を目前にした、この爺。今朝も、はよから台所にあり。ガマたちに食べさせるんだけどサバの骨がベーロにチクチクしたら大変。私がまず天ぷらに揚げて試食してみた。イケル。コロモが軽くカリカリして骨もそれに同化、ベーロに不快を感じない)
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(5月なのに30℃を超す暑さで世間は大騒ぎ、堤防は海風がそよいで涼しかった。早朝は超満員で、かろうじて私が入る分だけ空いていた=3か月も釣りに行けず喘いだ私に対する神のお情け、のですが、みなさん釣れなかったようで、私が帰る11時過ぎには御覧の通りガラガラ)
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(ユリカ、景品がとれて大喜び@ゲームコーナーにて)
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(10年ぶりにカラオケ再開。ほこりをかぶっていたキーボードは音程が狂っていたので買いなおした)

                   ( つづく )

 この日の釣果は以前に比べれば、ささやかなものですが、
 それでも久しぶりに神の出会い導きによって、これだけ釣らせてもらったのです。このことがウレシイ。

 上記のように、日曜日とあって、朝7時台に私が到着したときは釣り人が隙間もなく並んでいた。重い釣り具をもってホッホ喘ぎ喘ぎ行くと,わりと手前で釣っていた若者のバケツに小さなサバが数匹泳いでいた。その人が堤防の近くにコマセを撒くと小さな魚がワアーッと寄ってきて立ちどころに食いついた。

 神の導き!
 「ホー、今日はチビッ子でよければ釣れるんだ」

 どこか空いているところはないか、先へ進むと、これまた神!堤防の真ん中よりも少し先、右手のヨットがなくなった先の左側に私一人分が空いていた。
 これまでに、よくあったパターン。遠路はるばる行った孤独な老釣り師に対して、神は特別の計らいをしてくれる。

 「今日は釣らせてくれるみたいだぞ」

                   ( つづく )

 魚が水面近くにいるのでタナは浅くして、いつものスキンを巻いたサビキの釣り。ステンレス針金製コマセカゴ、カゴのフタと底の部分は、一部ニッパーで切り取ってコマセが出やすくしてある。
 開始早々から調子よく釣れました。が一匹づつしか上がってこない。海水面温度は20℃、と海況図通りなんだけど、いまいち食いがわるい。
 前日の土曜から大勢の釣り人が撒いたマキエで腹いっぱいなのか?

 アタリも間隔があく。
 ポイントもだんだん沖へ移っていった。

 が、順調に票を伸ばして予定の50匹ほどに達したとき、ちょうどコマセもなくなった。時計を見ると11時、3時間の釣りだった。

 ん‥久ぶりに釣りを楽しませてもらったものの、こんな釣りは、もう何度も来た道。マンネリの釣りだ。
 神の導き出会いがうれしかったけど、戦いがない。苦闘がない。
 私の釣りは、すでに天井を付け、これからは、こんなもんになるのだろうか?

 いずれサクハに私の釣りを教えることになるだろうが、今は未だ、よそのオジサンにアジの夜釣りを教えてもらっている。私にバトンが渡されるのは、いつのことやら。

 どうも私の釣りが天井をつけたらしい。

 これにタイミングを合わせ、
 これを補充するかのように、

 とっくに天井を付けて、やめてしまっていたカラオケを再開した。

 近所のカラオケ店が「飲食物持ち込み自由」になったという。
 チューハイ2缶とアジのミリン干しをもっていってみた。

 久々に私の十八番=「千曲川」「島育ち」「恍惚のブルース」などを次々に大声で叫んでいくと感動、シビレタ。

 「右脳人間の私には、やっぱりカラオケは捨てられないな」

 天井を付けてしまっているといっても、現に感動を得られるではないか」

 「これからは、ときどき、カラオケに行って叫んでくることにしよう」

 10年以上も部屋の片隅でほこりをかぶっていたキーボードを引っ張り出してみると音程が狂っていた。
 ここ鹿嶋一帯には楽器店がない。はるばる片道2時間もかけて水戸のイオンまで行ってきた。
 やっぱり新品は気持ちがいい。

 キーボードを弾きながら歌を歌うのは、なんだかスゴーク健康によいような気がする。
 これから、ずーっと続けよう。

     釣りも天井をつけてマンネリ、
     カラオケも天井をつけてマンネリ。

 釣りに行けなかったこの3か月の間、我が人生、これが夜明け前の一番の地獄か、にありました。
 視力が衰え、私は本当に、このたびの免許更新ウカルのか?クルマがなくなったら、どうしよう?と必死に考えていました。
 白内障の手術をすべきか?
 考えたあげく、今回は眼鏡を新調するにとどめて、警察で「これではダメだ」と言われたら急いで手術することにした。
 銀座の「和真」へ。
 この店の検査では3年まえも両眼視力0.5しか出なかったのですが、それでも免許は再交付してもらえた。今回は0.4に落ちている。
 「こんなに悪くて再交付してもらえるのかなあ?いくらなんでも、これでは・・」
 と、本能的、感覚的には不安に襲われる。

 私の哲学では、これまでに書いたようにウカルはずだ。

 神が、人類未曾有の哲学をなしつつある私から、ストレス発散手段として欠かせない免許を取り上げるはずがない。現に、助手席のガマ女に、いろいろアドバイスをもらって事故は起きない。先日も一人で片道2時間の水戸まで行ってこれた。館山での釣りも、一人で高速道を運転して行ってきた。ふだんでも、この車社会に住んで、毎日ガマやユリカたちを乗せて走り回っています。

 まあ、これからどうなるかの予測は難しい。今どきの人間、私ごときに「絶対こうなる」と断定できる筋合いのものではないが、
 が万一、パスできなかったときは、その環境に何らかの方法で私が適応できるようになっている筈だ。
 
 このことは絶対ゆるがない。

 ( 今から34年まえ1985年暑い夏、我すでに50歳、我が人生、一生懸命生きてきたのに何をやってもうまくいかない。もうすることない。万策尽きた。
 「ほかの同級生とかは皆出世して、どこそこの社長とか言っている。自分ひとり何らなすところなく、みじめ、恐ろしい」
 この、あとのない崖っぷちにたったとき、偶々訪れた勝浦港で神が現れ、
 以来、希望をもってこの道に一生懸命進んできたのだった。
 見よ、神の創作は、そのようなものだ。
 今回も、万一、免許を奪われるようなことになったら何かが起きる筈だ )

 「そのときは自分にできるだけのことをしよう」

 と、こういう結論になって、一応この問題は考え終わった形になっている。

 あと三週間ほどで、いよいよ警察での申請日だ。

 私の哲学がアタルと思いますよ。

  ( だいたい、神は、私の視力が0.7を下回ってからも事故が起きないように細かく采配してくれているのです。奥深い実感だ。わが身に起こるa-b-c-d・・なる出来事で神の心を知るの法理。
 助手席のガマが、「危ない、来てる」と危険を学習させてくれたのも、神がそうさせたのに他なりません。
 この神が、私から免許を取り上げる筈がない )


 ライフワークの哲学がかねてより予測する米中の覇権争いが深刻化、
 そのほか宗教対立なんかも世界的に依然深刻で、
 EUもガタガタ、イギリス国内もガタガタ、

 世界的ドヒャー、混迷の時代、私の哲学がモテハヤサレル時代へ、
 その序奏が始まったところ。


 私の人生、最後の山場をむかえた。
 
 

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