9月20日小湊港「前回の、たったあれだけの釣果で、もう、こんなにヒドイ仕打ち」「無神論的恐怖を排す」

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 一昨日2019・09・20(金)いつもの小湊港の堤防、神の鬼の仕打ちにあいネットに書く気もしない、
 一番大きなメジナが23cm次が20cm、あとはみなコッパです。
 まあ水温が23℃と、前日測定の海況図25℃台よりも2℃急冷して魚が活性を失っていたのが、そもそもの原因ですが・・ほらまあ自分がバカ・・
 釣れないものだからジタバタもがいてコッパまで持ち帰った。
 それでも最後に「沈みウキの方法」というのを久ぶりにやって、いきなりサオにガタガタッと手ごたえが来たときはシビレタよ。写真に写っているサバだった。
 「サバが来てるんなら」と、すぐサビキに変えたら写真にあるようにイワシ6匹だのシマアジの超赤ん坊2匹だのが来た。こんなのを持ち帰ってキミはホントにアタマがおかしくなっていましたね、食べようがないじゃないですか?

 この、すぐサビキに変えたのも敗因だったかも知れない。イワシもサバもあとが続かなかった。
 「沈みウキの方法で、もっと底を探ってみたかった」 
 「この日、魚は深いところにいたかもしれない、残念・・」

             ( つづく )

 いや、決定的敗因は、この日、クソ天の悪さにかかったこと。
 前回の釣りで、たったあれだけ喜ばせてもらっただけで(=メジナ34cmひとつ、シマアジ3匹釣らせてもらっただけで)、次は、もうこれだ、この日は悪さばかり。

 この「神のやり方」については8年前(2011・10・30)の三浦・三崎の釣りに出てくる。
 「たったソーダカツオ3本釣らせてもらっただけで、その次は遠路はるばる行ったトシよりに対してエサ取りの猛襲」

 われわれ人間の思いからすれば、「たったソーダ三本」「たった尺メジナひとつとシマアジ三つ」
なんだけれども、神からすれば、これでバランスがとれているみたい。

 こういうのも、神のやり方として、よくある例だから覚えておきましょう。

 (もっともコレ、私の人生の場合の話だ。私は、もう一方で、一番大事な生き甲斐たる哲学をもらっているから、その他の楽しみは、こうなる、ということ)
 
 それから上の真ん中の写真ね、
 台風15号で一番大きくやられた箇所に、ようやくブルーシートを敷き終わった。
 これで雨漏りが止まったかどうか、このシートは、どれぐらいモつか、など、まだまだ安心はできない。
 とりあえず、この老人、よくガンバッタじゃないですか?
 が、瓦の壊れている箇所は他にも何か所かある。作業はつづく。

 それでも、このたびの恐ろしい惨禍も、なんとか乗り越えられそうな感じになってきた。
 ほれ、ぼくの言った通り、
 あんなに、めちゃクチャ乱暴に吹き荒れる台風でも、無秩序に荒れ狂っているのではない、神によって限度が保たれている。
    まさに、
 「津波は神の英知を満載して押し寄せる」ていうやつ。あれと同根。

 「神はいない」という常識的感覚で、底知れない恐怖に陥るのは無用。

 私の哲学で先を見据えて、ずたっと構える。

 私は、まえに、「神の助力があるための条件」と題して書いたことがある。

 今の世の大方の皆さんのようにトコトン現在の快楽を追求する生き方をしていると、台風や津波で神が限度を保ってくれるかどうか、ちょっと心配ですね。

 人は「苦しみ努力して創造的に生きる」、この基本線から外れると、この世に存在価値の乏しい人間になる。
 いつ神に葬られるか、わからない。

 ラクなマンネリ生活をつづける人は危ない。

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